2017年02月25日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第五章01


 ジェラルドがエリスとの婚約を公にしたあとのこと。エリスへの風当たりはさまざまだった。
 メイド頭のニーナは喜んでくれたが、ほかの同僚は戸惑っているようすだった。
 身分違いの結婚な上に、いままで否定してきたことを覆す事態だ。自業自得だと反省しつつ、いまは割り切って業務に励むしかない。

(そういえば、まだ来ないわね)

 今月は赤い手紙がまだ届いていない。
いや、待っているわけではないのだが……何だか返って怖い。
 週初めの今日、例のごとくコレット嬢が診察にやって来た。ジェラルドとエリスが婚約したことを知っているらしく、ジェラルドの前であってもエリスに敵意をむき出しでにらみつけている。

「――夜道にお気をつけて」

 去り際にそう吐き捨てたコレットにエリスはゾッとする。体当たりをされなかったのはよかったが、むしろ今後それ以上のことに見舞われるのではないかと空恐ろしくなる。憤然と去っていく亜麻色の髪の彼女を、エリスはいつまでも不安げに見送った。


 使用人食堂できのこのスープとバケットを食したあとはまたいつも通り看護助手の業務に励んだ。
 しかし、その日の夕方。

(何だろう……。気持ち悪い)

 初めは軽かった。しかし時間を増すごとに吐き気が強くなっていく。
 エリスは口を押さえて診察室の床にしゃがみこんだ。
 診察が終了するまでは、と思い何とかもちこたえたが、もう限界だ。立っているのが辛い。

「エリス!? きみ、やっぱり具合が悪いのか」

 エリスの異変に早くから気づいていたらしいジェラルドが床に膝をついて彼女の顔をのぞき込む。

「ちょっと……気持ちが、悪くて」

 そう答えると、ジェラルドは神妙な面持ちでエリスの腹部をそっと撫でた。

「つわり……かもわからない」

 言われ、エリスは目をむく。

「そう……なので、しょうか」

 吐き気とめまいでいまにも意識が彼方へ飛んで行ってしまいそうだ。つわりとはそういうものなのだろうか。
 子を宿しているという実感はこれっぽっちもない。

「ひとまず横になれ」

 ジェラルドに支えられてエリスは診察台の上に寝転がった。呼吸は荒く、顔色も悪い。

「………」

 ジェラルドはいぶかしげに眉根を寄せてエリスの手首をつかみ脈を測った。その体は氷のように冷たかった。ジェラルドの表情が一変する。

「……っ、エリス!」

 いつになく慌てた様子でジェラルドが頬に手を当ててくる。
 そのあとのことは、わからない。

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2017年02月24日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第四章07


「な、何ですか? あ、そういえば……新しい看護助手が男性だとは思っていませんでした」
「きみが嫌がるかと思って、男を募集した。彼はいずれ医者として独立するだろうから、それまでの腰掛けだ」

 一瞬、首を絞められるのかと思った。机を拭いていたところに後ろからジェラルドの腕がまわり込んできて、片方は首に、もう片方は胸の下にきつく巻きつく。

「……先生?」

 身をかがめてジェラルドはエリスに頬ずりをする。甘えるような仕草は新鮮で、胸の奥がきゅっと締まって肢体の先端がむずがゆくなる。

「きみの頭の中を占めるのは俺だけでいい」
「な、何の話ですか」
「ヴィンセントとは今日だけでずいぶん仲良くなったな。……彼がきみに妙な気を起こさぬよう牽制はしたが」
「何ですか、牽制って」
「きみは俺の婚約者だ、と……言った」

 こんやくしゃ。
 ――婚約者。
 頬ずりの摩擦のせいだけではない熱でエリスの顔が真っ赤に染まり上がる。

(妻になる……って、そういうことだけど。でもっ)

 日常に劇的な変化があったかといえばそんなことはなく、強いていえばジェラルドが悪言を吐かず甘えてくるようになったというだけだから、いまいち実感がなかった。
 でも、そうなのだ。
 彼と、結婚するのだ。

「……なんだ。そんなに恥ずかしいのか、俺との結婚が」

 ジェラルドは不服そうにつぶやきエリスの体をさらにきつく抱きしめた。ふだんとは違って彼が性的なことを仕掛けないのには理由があるのだが、エリスはそれに気づかない。

「いまさらだ……。もう何度つながったか数えきれないというのに」

 頬を撫でる手は熱い。ゆっくりと顔を後ろへ向かされ、唇が重なる。これだって、もう何度もしてきたことだ。それなのに――どうしてこんなに甘く感じるのだろう。

「ん……」

 口づけは極めて穏やかだった。舌が挿し入れられることはなく、ひたすらに愛でるような唇同士の触れ合いが続く。

(そろそろ……)

 獰猛な舌が唇を割ってくる頃だろうと思った。しかし、いくら待てどもやってこない。

(い、いやだ、私……!)

 これではディープキスを待ち望んでいるようだ。いや、事実――そうなのかもしれない。
 ジェラルドはそっと口づけを終わらせ、ごく自然に「どうした?」と聞いてくる。意地悪をしているようなふうではない。

「な……、何でも……ない、です」

 エリスはしどろもどろしながら、ふいっと顔をそむけた。

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2017年02月19日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第四章06


 ジェラルドの気持ちを知った翌日は何だか妙に仕事がやりづらかった。加えて、「きみの代わりの看護助手を募集することにした」と朝一番に言われて反応に困ってしまう。

(そりゃ……結婚して仕事を辞めたいとは常々思っていたけど)

 しかしいざそうなるとかなり複雑だ。贅沢な悩みだとは思うが、複雑なのだ。
 まず第一に、仕事を辞めるということ自体に抵抗があった。いまさらだ。あんなに辞めたがっていた自分は何だったのだろうと思う。それでも、働いていない生活は退屈で仕方がないだろう。以前、一週間の休みをもらったときがそうだった。時間が進むスピードが変わってしまったのではないかと疑うほどに暇で、一日が過ぎていくのが遅く感じた。

(……私、わがままね)

 エリスは開診前の診察室で床にモップがけをしながら自嘲した。椅子に腰掛けてカルテを整理するジェラルドを盗み見る。
 仕事を辞めたくないもう一つの理由は、自分とは違う女性が彼の隣に立ち、ほとんど四六時中、行動をともにするということだ。
 まだ見ぬ新たな彼のビジネスパートナーに嫉妬するなんて、どうかしている。そうは思えどやるせない。

「……も、もし子どもができてお休みすることになっても、なるべく早く業務に復帰します」

 唐突に口を開いたエリスにジェラルドは不思議そうな視線を向ける。

「……? そうか」

 それだけを返し、ジェラルドはまた執務を始めた。


 エリスが勝手にライバル視をする新たな看護助手はすぐに見つかった。

「おふたりとも、よろしくお願いします」

 人好きのする笑みは善良さが全面に出ている。聞けば、まだ医学校に通っている身なのだという。
 ――新しい看護助手は男性だった。看護助手というよりも、医者見習いとしてここへ勤めに来るそうだ。
 互いに簡単な自己紹介を済ませたあと、エリスは新たな同僚――ヴィンセントに業務内容について教えることになった。指導とまではいかない。医学に関する知識はむしろ彼のほうが卓越していることだろう。なにせ現役の医学生だ。独学で学んだエリスよりも豊富な知識を持ち合わせていると思われる。だから、エリスが彼に教示するのは実務的なことだ。ジェラルドと看護助手の業務区分や、薬の補充についてを教えると、ヴィンセントはノートにメモを取りながら、時には問い返しながら習得していった。

「――エリスさんの説明は医学校のお固い先生たちと違ってすごくわかりやすいです」

 碧い目を細めてヴィンセントが笑う。診察室で薬棚の説明をしているときのことだった。
 ヴィンセントは見た目の通り人懐っこい性格で、エリスとすぐに打ち解けた。ジェラルドもまたヴィンセントにはいつもの毒舌を振るうこともなく、彼にしてはかなり好意的に接しているように見受けられる。
 ヴィンセントが医学校へ戻り、診察の後片付けをしていると、

「……エリス」

 大蛇が地を這うようなおぞましい響きを含んだ声が背後から聞こえた。

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2017年02月18日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第四章05


 言葉もなくいっそうぼろぼろと涙をこぼすエリスにジェラルドはぎょっとして戸惑った。

「っ、なぜよけいに泣くんだ。泣き止ませたくて告白したというのに」

 いたわるように目尻に指を添えられ、そんな優しい仕草にも歓びが込み上げて感極まってしまう。

「ぅ、くっ……。だって……先生がいきなり素直になるから……! ……嬉しくて」

 すう、はあっと短く呼吸しながらエリスは続ける。

「私……もっと早く、素直になればよかった」

 ジェラルドの瞳をのぞき込む。翡翠色の瞳はいつも優しさをたたえていた。よけいな一言にごまかされてそれが見えなくなっていただけだ。
 本当は知っている。わかっていたけれど、知らないふりをしていたのだと思う。
 郷里に帰ったときはわざわざ迎えに来てくれた。
 病院勤務で寂しいときは会いに来てくれた。
 ――いつも全力で、たとえこちらがヘトヘトになっても、体を通して愛を伝えてくる。
 涙を浮かべたままエリスはほほえむ。

「偏屈で人使いが荒くて子供っぽいあなたを、愛しています。どれだけ胸を馬鹿にされても――悔しいけど、好きなんです。……っ、狂おしい。先生が、言葉とは裏腹に私を求めてくるから」

 悩ましげに息を吐いて眉根を寄せ、涙が溜まった目を儚げに伏せるエリスは扇情的だった。加虐心と征服欲、そして庇護欲を刺激して陽根の猛りを増長させる。

「エリス……ッ」

 名前を呼ばれるのはまだくすぐったい。それだけで蜜奥がくすぶるので世話がない。
 好きなのだと認めてしまえば身も心も楽になった。体のほうはこれまでよりもさらに快楽を得やすくなり、肉茎がわずかにうごめくだけでも悦びが打ち広がる。

「ぁ、あっ」

 喘ぎながらジェラルドの顔を見やると、いままで無意識に抑えていたからか彼への愛しさでいっぱいになった。
 こんな男、嫌いだ。そう思っていたはずなのに、手のひらを返したように正反対の感情が流れ込んできて埋め尽くす。
 好きなのだ。底意地の悪い彼のことが。そういう――意地の悪さや素直さに欠けるという点では、自分もジェラルドと競えるのかもしれない。
 ジェラルドが大きく息をつく。熱い吐息が頬に吹きかかる。

(なにを考えているんだろう?)

 美しい面《おもて》を悩ましげに歪めているさまはどこかドラマティックだ。

「なにを……思って、ますか」

 尋ねると、幾分か律動が緩やかになった。

「きみのナカ、気持ちいい……ッ」

 エリスは目を丸くする。この男の脳内には肉欲しかないのか。

「も、もうちょっと夢のある回答を――っ、ん!」

 つべこべうるさい、と言わんばかりにジェラルドはエリスの内奥を突き上げる。

「伝わら、ないか……、っ?」

 ――なにを。
 ――愛が?
 体だけは初めから深くつながって、互いに気持ちよくなって。心を通わせるまでにはずいぶんと遠まわりをしてしまった。
 ジェラルドが短く息を吸って、そうかと思うとまた体内がビクビクと打ち震えた。

(……いつもより、早い)

 果てが早いのは二人とも同じで、エリスもまた花芽を核とした絶頂に襲われていた。そこには触れられてもいないのにご苦労なことだ。

「どうしていつも……意地悪ばかり、するんですか?」

 小さな胸に顔をうずめるジェラルドにエリスはふと尋ねた。

「……俺の存在をなによりもきみに深く刻み込みたいからだ」

 くぐもった声で告げられ、エリスはやれやれと嘆息したあとで穏やかに目を細める。

「本当……子どもみたい」

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2017年02月17日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第四章04


 こんなことはいままでになかった。淫猥な行いは数知れない。しかし、子ができる可能性のある行為だけは律儀に避けてきたジェラルドだ。

(子どもができたら私は働けなくなってしまうのに)

 あるいは、子を成しても堕ろさせるつもりなのだろうか――。
 エリスは眉根を寄せて大きく目を見開いた。それだけはどうしても許せないし彼がそれを行うとも思いたくない。どれだけ性格が悪かろうとも医者だ。芽生て間もなくであろうと尊い命なのは確かで、それを無下にするとは考えられない。

「っ、先生!」

 唇が離れるなり悲鳴のごとくエリスは叫んだ。あれこれと憶測するばかりでは不毛だから、真意を確かめようと思ったその刹那。脈動とともに蜜洞に満ちていくものをありありと感じた。精を、受けてしまった。
 エリスはしばし呆然とジェラルドを見つめる。

「なっ――、なにを考えてるんですかっ!? ご存知ですよね! いまっ、私はっ」

 彼の身勝手さに憤りが湧き上がり、舌がもつれ、呼吸も乱れている。血圧はとんでもなく上がっているに違いない。
 羞恥とは別の熱で耳まで真っ赤に染まっているエリスを、ジェラルドは下半身をつなぎ合わせたまま彼女とは相反して静かに言う。

「きみにはこれから子作りに専念してもらう」
「……はあっ?」
「俺の子を孕め」
「――っっ!」

 視界に涙のヴェールが掛かっていく。彼の発言があまりに唐突で、理解できなくて、とたんに息苦しくなる。
 なにを言っているの。
 なにを考えているの。
 知りたい。ううん、知りたくない。知るのが怖い。
 けれどこのままでは先へ進めない。エリスは大きく口を開けて思いきり息を吸い込んだ。空気が乾燥しているのか、咳き込みそうになる。それを何とかこらえてジェラルドに物申す。

「勝手なことばっかり言わないで! 愛人にでもなさるおつもりですかっ? 私、わたしはっ……」

 ああ、泣いている場合ではない。いま目の前にいる、不可解な言動をするこの男を叱責してやりたい。

「ぅ、うっ――」

 言いたいことがごまんとあるのに、嗚咽ばかりで言葉にならない。ふくれ上がった感情は怒りか悲しみか、わけがわからず涙ばかりがとめどなくこぼれ落ちていく。

「――エリス」

 湖面に葉が落ちるように穏やかで静かな声だった。彼の声が頭の中で心地よく波紋する。
 それは初めての響き。名を呼ばれたのはこれが初めてだ。

「愛してるんだ、きみのこと。もうずっと前から」

 耳を澄ましてやっと聞き取れる、小さな声だった。

「……俺の……唯一無二の妻に、なってくれ」

 ――ああ。私はこの言葉が聞きたかったのだ。もう、ずっと前から。
 ジェラルドは切なげな表情のまま、堰を切ったように想いを吐露する。

「きみに俺の仕事を手伝わせるのは、たんにずっと一緒にいたいからだ。時間を共有していたい。一分一秒たりとも……刹那ですら離れたくない」

 寝間着が卑猥に乱れたエリスの背にジェラルドは腕をまわし、すがりつくようにぎゅうっと抱きしめた。

「きみがいない日々は、いやだ」

 彼の顔が耳もとになければおそらく聞き取れなかった。掠れた小さな声が吐息とともに耳に届き、とたんに彼の温もりを全身で実感する。

「……っ」

 鼻の奥がツンとくる。それは涙の予兆。止まりかけていた涙がふたたびあふれてくる。それも、先ほどよりも遥かな勢いをもって目からあふれ出し、連なって滝のように頬を伝い落ちていく。

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