2017年06月23日

秘されし、その甘やかな救済 第三章07


 遠方での視察を終えて邸に戻ったのは深夜だった。
 マティアス・エルフォードは自室ではなく、ゲストルームへと急ぐ。明かりの消えた部屋を、返事は期待せずにノックする。案の定、中から「どうぞ」という声は返ってこない。合鍵を使ってゲストルームの中へ忍び込み、そこで眠る彼女の顔を見下ろした。
 ラティーシャはあどけない顔ですやすやと眠っている。マティアスは窓際から椅子を持ってきてベッド脇に置き、そこへ腰かけた。脚を組み、円卓に頬杖をつく。

(ここのところ、ろくに会話もしていない)

 顔を合わせるのは朝食のときくらいだ。使用人の目もあるため、朝食の場で彼女を口説くわけにもいかない。マティアスはなかなかラティーシャとの仲を進展させられずにいた。

(先日は早まったことをした。酔った勢いというのは恐ろしい)

 すやすやと眠るラティーシャの頬をそっと撫でる。この子は男性不信なのだ。それなのに、いきなりあのようなことをしては怖がらせるだけだ。挙句にラティーシャは気を失ってしまい、あせった。すぐに医者に診せると、ただ疲れて眠っているだけだとわかって安堵したのと同時に、無理をさせてはいけないと思った。

(ラティーシャは勤勉だからな……。どんなに体がつらくとも必ず神殿に出仕する)

 いまの彼女は昔の自分を見ているよう。ラティーシャが巫女見習いになった、三年前の自分だ。
 三年前もいまと同じで働き詰めの毎日だった。ただ、いまと違うことがひとつだけある。父の急逝であわただしく公爵位を継いだあの頃はまわりがすべて敵に見えていた。自分の殻に閉じこもっていたのだ。
 なにをするにも他人には任せられず、すべて抱え込み、睡眠時間を削ってただひたすら仕事をこなす日々だった。
 そんなとき、ラティーシャに出会った。いや、彼女は覚えていないようなので、一方的に知ったというほうが正しいかもしれない。

「お顔の色が優れませんね。神殿内で少しお休みになってはいかがですか」

 神殿の廊下ですれ違ったときにそう声を掛けられた。
 一目で、彼女に魅入った。
巫女見習いになったばかりの頃の彼女はいたいけであどけなく、そこには何の意図も感じられなかった。ただ純粋に体を心配してくれているのだと、そう感じた。
 いま思えば、『巡礼者の顔色がすぐれないときは奥の間で休ませること』という神殿の規則を律儀に守って声を掛けてきただけだと思うが、マティアスにとっては運命的な出会いだった。
 そのあと、マティアスはラティーシャのことを徹底的に調べた。旧友である神殿長オズウェルの妹だと知り、オズウェルにラティーシャを紹介してほしいと頼んだが断られた。ラティーシャは男性不信なのだとオズウェルに聞かされ、へたに言い寄って嫌われたくないという思いから尻込みした。

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2017年06月18日

秘されし、その甘やかな救済 第三章06


 巫女に昇格して数日が経ったある日。その日は朝から雨が降りしきっていた。しとしとと降り続く雨は神殿内を陰鬱な雰囲気にさせるのと同時に、巡礼者の足も遠のかせる。したがって巫女や巫女見習いも、雨の日には休みを取ることが多い。神殿の中はふだんよりも閑散としていた。

「こんにちは、アドニスさま」

 ラティーシャは祈りの間にいた。いまも、巫女見習いだったころと同じで神殿内の清掃や護符の配布を行う。巫女になってなにが変わったかと聞かれればそれはただひとつ、祈りの間でアドニスと話をするということだけだ。

「やっほー、ラティーシャ。元気そうだね」
「はい。アドニスさまもお元気そうでなによりです」
「さぁて、今日こそきみの恋の話を聞かせてくれる?」
「そっ……れは、また今度」

 ラティーシャが苦笑いを浮かべると、アドニスはぷうっと頬をふくらませた。

「もうっ、いっつもそれなんだから! 僕ってそんなに信用ない?」
「そういうわけではありません。その……私の中でもよくわからないものですから」
「そういうのを全部、話してもらいたいんだけどな。ラティーシャはつれないなぁ……」

 しゅん、とこうべを垂れるアドニスを見てラティーシャはあいまいに笑うしかない。
 あれからマティアスとはしばらく顔を合わせていない。巫女に昇格すれば神殿に住む権利が与えられるわけだが、マティアスには恩義があるためいまだに公爵邸に居座っている。
 ――いや、居座っている理由はきっとそれだけではない。

(私は朝から晩まで神殿の仕事があるし……マティアスさまだってそう)

 彼は遠方へ視察に行くことも多く、たびたび公爵邸を留守にする。顔を合わせる機会は朝食くらいだ。そのときも、たわいない話をするだけで終わってしまう。

(もっと……マティアスさまとお話しがしたい)

 そう思うのはなぜなのか。説明できない。
物思いにふけるラティーシャを、アドニスはじいっと見つめていた。しかし突然、

「――あぁぁ、何かヤバいのがきてる! ラティーシャ、早く逃げて!」

 あわてた様子でそう言って、少年の姿をした神様は出入り口の大扉を指さす。

「逃げるって、そんな……。アドニスさまはどうなさるんですか?」

 いきなりなにを言い出すのだろうと思ったが、神様の言うことだ。嘘ではないようだし、必死の形相は冗談を言っているようにも見えない。

「僕は実体がないから大丈夫! できるだけ被害が出ないようにしたいけどっ……。きみを守れる自信はない。だから、早く行くんだ!」

 鬼気迫る表情に圧されてラティーシャは声もなくうなずき、祈りの間を出て行く。

(いったいなにがきているっていうの?)

 突然のことに頭がついていかない。もしかしたらこれは神の信託なのかもしれない。早く皆に知らせなければ。ラティーシャが駆け出した、そのとき。

「――ん、ぐっ!?」

 突如として目の前が真っ暗になった。口もとをなにかに塞がれて、強い力でうしろに引き込まれる。

「……つかまえた」

頭上から響いたその声に、ラティーシャは戦慄した。

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2017年06月17日

秘されし、その甘やかな救済 第三章05


「このビスケット、シュバルツ公爵さまからいただいたのよ。機会があればラティーシャにも食べさせてあげて、って」
「えっ!?」

 マティアスとイザベラに面識があったことにまず驚いた。

「お姉さまは公爵さまとお知り合いだったのですね」
「ええ。シュバルツ公爵はいつも神殿に便宜を図ってくださるから、巫女ならみんな会う機会が多いわね」
「そうだったのですね……」

 だから彼は神殿の内情にも詳しいのかもしれない、とラティーシャは思った。

「ところでラティーシャ。レイヴンに襲われかけたんですって? そうなった以上は、公爵さまのお邸に住まわせてもらうほうが安心だと姉としても思うわ」
「そっ……れは、そうなのですが……いえ、公爵さまのお邸でお世話になるのはとってもありがたいことなのですが」

 ティーカップを手に持ったまま不安げに視線を揺らすラティーシャに、イザベラはほんの少しだけ体を動かして近づいた。

「あなたの悩みはほかにあるのね?」

 ラティーシャはこくりとうなずく。

「アドニスさまに訊いてみたんです。巫女とはどうあるべきなのか、と。そうしたら、好きにしていいと言われて……」

 ――なにもかも、お姉さまに相談してみよう。一人では解決できそうにない。

「れ、恋愛してもいいのだと……言われて」

 意を決して言うと、イザベラはすぐに「もちろんよ!」と返した。

「恋していいのよ! 巫女なんてもはやただの職業なんだから。こう言ってはあれだけれどあんな神様なのよ? 信仰もへったくれもないわよ。まあ、巡礼してくださるかたには真摯に接しなければいけないとは思うけれど。あんなのでも、神様には違いないし。まあ、とにかく……それとこれとは話が別よ。巫女だろうと――たとえ神に近い存在だろうと、人を好きになることは罪ではない。それで子孫が繁栄するのだから、むしろごく自然な摂理なのよ」

 喉が渇いたのか、イザベラはティーカップの紅茶をぐいっといっきに飲み干した。

「でも私は……父さまに似て浮気性かもしれない、と不安で」

 ごくりと喉を鳴らしたあとでイザベラは不安げなラティーシャに向き直る。

「自分が浮気性かどうかなんて、自分自身が決めることよ。遺伝なんて関係ないわ。人を愛する自信なんて、誰だって初めは持ち合わせていない。その人と過ごすうちにつちかわれていくものよ」

 イザベラの言葉には説得力がある。まるでそれが彼女の経験談のように。

「お姉さまにもそういうかたが?」

 疑問に思ったことをそのまま口にした。するとイザベラは急に口をつぐんでしまった。

「あの、お姉さま?」

 訊いてはいけないことだっただろうか。おろおろしながらラティーシャはイザベラの顔色をうかがう。

「……ふふ。どうでしょうね」

 どこか悲しげに窓の外を眺めながら、イザベラはその長いまつ毛を伏せる。

「あなたは、オズウェルお兄様とよく似ているわよね」

 急にそう言われ、ラティーシャは首を傾げる。

「そうですか? 髪の色だけのような気がしますが」

 見つめ返すと、イザベラは所在なげにゆっくりと視線を逸らした。

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2017年06月11日

秘されし、その甘やかな救済 第三章04


 祈りの間をあとにしたラティーシャはあれやこれやと考えを巡らせながら早歩きをしていた。向かう先はイザベラのいる巫女の控室だ。巫女見習いの控室は大部屋だが、巫女に昇格すれば個室が与えられる。

(まさか神様が実在していたなんて)

 神とは人々の憧れであり、願望の対象でもある。それがあのような――こう言っては何だが、想像していた神とはかけ離れていたせいでラティーシャはますます迷いが深くなった。これからの自分の在り方がわからない。自分自身、どうしたいのかわからない――。

(とにかく、神様のことは他言無用よね)

神の実態がああだと知れたら信仰に影響が出るかもわからないので、彼の存在は秘されるべきだとラティーシャは思った。実際、そういううわさは出回っていないし、これを知りえるのは巫女だけだ。

(でもマティアスさまは……もしかしたら神様とお会いになったことがあるのかも)

 いま思えばマティアスの発言には神の存在を匂わせるようなことがたびたびあったような気がする。麗しい青年公爵のことを思い出し、ふたたび火照り始めた頬をパン、パンッと両手で叩いて引き締めたあと、ラティーシャはイザベラの部屋の扉をノックした。

「――どうぞ」

 中からすぐに返事が聞こえた。ラティーシャは「失礼します」と言いながら茶色い木の扉を開ける。

「あら、ラティーシャ。アドニス様とのお話はもう終わったの?」
「はい、ひとまずは」
「そう。まぁ、座ったら?」

 込み入った話になると察したのか、イザベラは浮かない顔のラティーシャにソファに座るよううながした。
 二人掛け用の茶色い革張りのソファに座る。すると、イザベラがティーポットから紅茶を注いでくれた。

「ありがとうございます、お姉さま」
「いいのよ。それで、どうしたの? アドニス様が神に似つかわしくないのはわかるけど、そんなにショックだった?」

 ラティーシャはぎくりとして、隣に腰を下ろしたイザベラを見やる。

「アドニスさまのことは……そういう方なのだと思えばいいのかな、と」
「そうね、あの性格はもうどうしようもないわよね」

 クスッ、と笑ってイザベラは紅茶をすする。ソファの前のローテーブルにはあらかじめ二組のカップとティーポットが置いてあった。来客があることを――ラティーシャが来ることを予想していたのだろうか。

「食べる? おいしいわよ」

 イザベラは白い小皿に盛りつけられた小さな丸いビスケットを指でつまみ、ラティーシャの口へ運ぶ。そのまま口を開けると、ビスケットが口の中へ飛び込んできた。
 ビスケットは舌に乗ると溶け出しそうなほど軽やかでそして甘く、ほのかに花の香りがした。

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2017年06月10日

秘されし、その甘やかな救済 第三章03


「さて、きみの名前を教えて?」

 アドニスはうしろで手を組んでラティーシャの顔をのぞき込んだ。彼が身に着けているのは巫女が着ているものと同じ長衣だ。しかし妙なことに、彼が腕を動かしても袖がまったく揺れない。もしかしたら彼は実体がないのかもしれない。疑問に思ったものの、それを口に出して尋ねるほど気安い関係ではない。ラティーシャはひとまず名乗ることにした。

「ラティーシャ・カトラーと申します」
「うんうん、イザベラとオズウェルの妹だね。ふーん……イザベラにはあんまり似てないね。オズウェルとは髪の色が一緒だ」

 オズウェルとは神殿長をしている兄のことだ。アドニスはオズウェルとも面識があるらしい。兄は神殿長だから、当然といえばまあそうだ。

「姉と兄とはそれぞれ母親が違うものですから。兄の髪色は父親ゆずりです。私もそうなのだと思います」
「そうなんだ? なかなか甲斐性のあるお父さんだねぇ」

 色っぽく流し目をしてアドニスが笑う。
 ラティーシャは初めて相対する『神』にどきどきと胸を鳴らしながら問う。

「あの……アドニスさま。ひとつお尋ねしてもよろしいですか」
「うん、なぁに?」

「私は、巫女とは元来清らかでなければならないものだと思っておりました。実際のところは、どうなのでしょう。巫女とはどうあるべきなのでしょうか」

 アドニスはきょとんとして目をしばたたかせた。

「うーん……。ありのままでいいんじゃないの? きみたちがどこでなにをしていても、僕は咎めたりしないよ。好きな人といちゃいちゃするのもよし、朝までお酒を飲んで楽しく過ごすのもよし。むしろいろんな経験をしてほしいな。それを僕に話して聞かせて? 僕は世界の、そこに住まう人々のいろいろなことを知りたい。きみたちと話をして、さまざまな想いの祈りを受ける。それが僕の糧なんだ」

 アドニスは快活な笑みを見せる。

「恋の相談にだって乗るよ。もちろん、秘密厳守! ラティーシャは好きな人はいるの?」

 今度はラティーシャがきょとんとする番だ。あまりに寛容な――むしろ、考えていたのとは真逆の回答に面食らう。

「すっ、好きな……人……」

 真っ先に頭の中に浮かんだのはマティアスだ。彼の笑顔、それからどうしてか指先を思い出し、頬に熱がこもる。

(私……マティアスさまのこと――)

 彼のことを想うと胸の奥が締め付けられる。どうにもいたたまれないなにかが込み上げてきて、それと同時に彼がそばにいないことを寂しく思ってしまう。
 ひとり頬を赤らめるラティーシャを見てアドニスはニイッと笑みを深めた。

「ははぁ、そのようすだと……好きな人がいるんだね? ねぇ、詳しく話を聞かせてよ」
「そ、そんな……! 神様にお話しできるようなことではありません」
「またまた、つれないなぁ。まあ、今日は初の対面だったしね。でもいずれ聞かせてね?」

 屈託のない笑顔を見せるアドニスに、ラティーシャはいまだに戸惑いを見せながらも笑い返した。

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