2016年04月24日

いたずらな花蜜1-03


「敬語はやめてよ。いまはふたりきりじゃない」
「……アリシア」

 フィースがため息をついたのがわかった。鍛錬場の外にはいまは誰もいないけれど、パブリックスペースであることには違いない。フィースは暗にそのことを言いたくて、こういう態度なのだろう。

(どうしてそんなに人目を気にするのよ。ちょっと前までは、どこでだっていつも通り話してくれたのに)

 話しかけるだけでそんなに迷惑をかけるのだろうかと不安になりつつ、しかしまだあきらめない。

「……じゃあ、お仕事が終わったら私の部屋に来て」
「仕事が終わるのは夜更けだ」

 フィースが銀の前髪を手でうっとおしそうにかきあげた。いまのいままで体を動かしていた彼は汗をかいている。前髪が額に張り付くのが気持ち悪いのだろう。
 アリシアはフィースの鮮やかな翡翠色の瞳を見つめて言う。

「いつまででも待ってる。だからあとで必ず来て。お願いねっ」
「ちょっ、アリシア!」

 くるりときびすを返し、アリシアは一目散にその場をあとにした。まさに言い逃げだ。

(こんな言い方ずるいし、フィースには迷惑でしかないってわかってるけど――)

 誰にも邪魔されずふたりきりで話をして、明日の休みに出かける約束をなんとしても取り付けたい。

(来て、くれるかな……)

 頬を赤く染めて、うつむき加減に淑やかに歩くさまは恋する乙女そのものだが、彼女の恋心は未発達で、自覚はない。

「……――ひ〜め〜さ〜ま〜ッ!」

 アリシアは廊下の角でギクリとして足を止めた。
 「げっ」と言いながら声がしたほうをおそるおそる振り返る。

「いったいどちらにいらしたんですか」

 彼の言葉は疑問形ではなかった。アリシアの行動に対して確信があるのだろう。
 第一王女のお目付役である侍従のルアンドはツカツカとアリシアに近づきながら低い声音で言う。

「またフィース殿のところですか。いいですか? あなたはいずれ然るべき相手とご結婚なさるのですよ」

 もう幾度となく言われた言葉だ。うんざりする。

「でもお母様は、誰とだっていいとおっしゃっているわ。それに私、まだ16だし。結婚とか、ぜんぜん興味ない」

 アリシアはぷいっとそっぽを向いた。このやりとりも、もう何度も繰り返してきた。本当に本当にウンザリする。
 アリシアはルアンドの、ぴっちりとうしろへ撫でつけられた茶色い髪をうらめしそうに見上げた。夕方だというのに少しも髪型が乱れていないのはなぜだろう。彼はまだ30歳前後だったと思うが、神経質そうな髪型のせいで老けて見える。

「――ですが、陛下はきっとお許しになりませんよ。ですから好き勝手な行動をなさるのは控えていただきたい」
「いったいなにが問題だっていうの? 幼なじみに会いに行ってるだけじゃない。それに、お父様は誰との結婚だって反対するに決まってるわ。一生、誰とも結婚しなくてもいいとおっしゃっていたもの」

 アリシアが憤然と言い放った。いっぽうのルアンドは、「はぁぁ」と盛大にため息をついて頭をかかえたのだった。

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posted by 熊野まゆ at 05:26| いたずらな花蜜《完結》


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