2017年04月09日

秘されし、その甘やかな救済 第一章02


 ラティーシャはしばし逡巡したあと、

「お家はどこですか。お送りいたします」

 そう提言すると、男性はすぐ近くを指さした。彼が示した先にあるのは神殿にも負けず劣らずの広大な建物。

(ここ、は……シュバルツ公爵邸だわ)

 かの公爵は神殿に多大な寄付金をもたらしてくれる。シュバルツ公爵には会ったことはないが、もしやこの男が――?
 ラティーシャはおそるおそる尋ねる。

「……もしかして、マティアス・エルフォード、シュバルツ公爵さまでいらっしゃいますか?」

 うつろだった男性の瞳に光が灯る。

「ああ……。俺のこと、覚えていてくれたのか」

 うっとりとした様子の公爵を尻目にラティーシャは首を傾げた。
 どこかで会ったことがあっただろうか。

(護符の配布のときかしら……? でも、公爵さまならわざわざ配布の列に並ばずとも受け取れるはず)

 寄付金と引き換えに護符を渡してあるはずだ。ラティーシャが頭の中に疑問符を浮かべて記憶の糸をたどっていると、公爵――マティアスは口もとを押さえて気持ち悪そうなそぶりをした。そのことに気がついたラティーシャはおろおろとあわてふためく。

「ここは冷えますし、邸の中へお入りになったほうがいいかと」

 道端で嘔吐されては迷惑だ、とは言わずラティーシャはマティアスを邸の中へうながす。

「ああ、そうだな……」

 マティアスは立ち上がったものの、フラフラして足もとがおぼつかない。
 ラティーシャはマティアスが倒れないようやや距離を取って見守る。

「……肩を貸してくれないか?」
「え……と」

 イヤです、とは言えない。しかし男性には極力触れたくない。

「すぐそばでお見守りいたしますので、ご安心ください」

 ラティーシャがぎこちなくほほえんでそう言うと、マティアスはあからさまに不満そうな顔になった。
 微妙な距離を取りながら何とか公爵邸の玄関までたどり着く。
 マティアスは懐から鍵を取り出した。ラティーシャはギョッとして目を向く。

「あの、邸のかたは……いらっしゃらないのですか?」
「気兼ねなく飲み歩きたいから、夜は使用人をすべて家に帰している。朝には出勤してくる」
「えっ」

 誤算だった。邸の中まで連れてさえ行けば誰かしらいるだろうと思っていたのだ。あとは邸の使用人に任せて自分は帰るつもりでいた。

(い、いやだ……早く帰りたい)

 屋内で男性と二人きりなんてとんでもないことだ。落ち着かない。

「あ、あの……私はこれで――」

 マティアスはラティーシャの言葉をさえぎるように「ヴヴ」とうなって玄関扉を開けた。それからおもむろにこちらを見下ろしてきた。こんなに具合の悪そうな俺を放ってきみは帰るのか、とでも言いたげだ。

「……もうしばらく、付き添ってもらえると助かる」
「は……い。ですが、あまりお役に立てないかと思いますのでやはりどなたかお呼びになったほうがよろしいかと――」
「ヴっ!」

 急にマティアスが口もとを押さえた。

「ど、どうなさいましたっ?」
「だめだ……気持ちが悪い。早く部屋へ行かなければ。きみも来てくれ」
「え……えっ!?」

 マティアスの片手が伸びてくる。ラティーシャは反射的に後ろへ飛び退いたが、そこは邸の中だった。マティアスが素早く中へ入り、内側から鍵を掛ける。

「ちょっ、あのっ!」

 なんだ、元気ではないか。それだけしっかりと行動できるのならば付き添いなど必要ない。

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