2017年06月10日

秘されし、その甘やかな救済 第三章03


「さて、きみの名前を教えて?」

 アドニスはうしろで手を組んでラティーシャの顔をのぞき込んだ。彼が身に着けているのは巫女が着ているものと同じ長衣だ。しかし妙なことに、彼が腕を動かしても袖がまったく揺れない。もしかしたら彼は実体がないのかもしれない。疑問に思ったものの、それを口に出して尋ねるほど気安い関係ではない。ラティーシャはひとまず名乗ることにした。

「ラティーシャ・カトラーと申します」
「うんうん、イザベラとオズウェルの妹だね。ふーん……イザベラにはあんまり似てないね。オズウェルとは髪の色が一緒だ」

 オズウェルとは神殿長をしている兄のことだ。アドニスはオズウェルとも面識があるらしい。兄は神殿長だから、当然といえばまあそうだ。

「姉と兄とはそれぞれ母親が違うものですから。兄の髪色は父親ゆずりです。私もそうなのだと思います」
「そうなんだ? なかなか甲斐性のあるお父さんだねぇ」

 色っぽく流し目をしてアドニスが笑う。
 ラティーシャは初めて相対する『神』にどきどきと胸を鳴らしながら問う。

「あの……アドニスさま。ひとつお尋ねしてもよろしいですか」
「うん、なぁに?」

「私は、巫女とは元来清らかでなければならないものだと思っておりました。実際のところは、どうなのでしょう。巫女とはどうあるべきなのでしょうか」

 アドニスはきょとんとして目をしばたたかせた。

「うーん……。ありのままでいいんじゃないの? きみたちがどこでなにをしていても、僕は咎めたりしないよ。好きな人といちゃいちゃするのもよし、朝までお酒を飲んで楽しく過ごすのもよし。むしろいろんな経験をしてほしいな。それを僕に話して聞かせて? 僕は世界の、そこに住まう人々のいろいろなことを知りたい。きみたちと話をして、さまざまな想いの祈りを受ける。それが僕の糧なんだ」

 アドニスは快活な笑みを見せる。

「恋の相談にだって乗るよ。もちろん、秘密厳守! ラティーシャは好きな人はいるの?」

 今度はラティーシャがきょとんとする番だ。あまりに寛容な――むしろ、考えていたのとは真逆の回答に面食らう。

「すっ、好きな……人……」

 真っ先に頭の中に浮かんだのはマティアスだ。彼の笑顔、それからどうしてか指先を思い出し、頬に熱がこもる。

(私……マティアスさまのこと――)

 彼のことを想うと胸の奥が締め付けられる。どうにもいたたまれないなにかが込み上げてきて、それと同時に彼がそばにいないことを寂しく思ってしまう。
 ひとり頬を赤らめるラティーシャを見てアドニスはニイッと笑みを深めた。

「ははぁ、そのようすだと……好きな人がいるんだね? ねぇ、詳しく話を聞かせてよ」
「そ、そんな……! 神様にお話しできるようなことではありません」
「またまた、つれないなぁ。まあ、今日は初の対面だったしね。でもいずれ聞かせてね?」

 屈託のない笑顔を見せるアドニスに、ラティーシャはいまだに戸惑いを見せながらも笑い返した。

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