2016年02月19日

クールでウブな上司の襲い方1-06


 柏村は両の手のひらを合わせて小さな声で「いただきます」とつぶやき箸を取った。
 彼のななめ前に腰をおろし、優樹菜はさっそうと白いエプロンを外す。

(ど、どうかな……?)

 チラリと横目で反応をうかがう。柏村主任は黙々とご飯を食べていて、その視線はお皿にしか向いていない。

(う、うう……)

 見向きもされない現状にガックリと肩を落としてうなだれる。こちらにはまるで関心がないようすだ。
 優樹菜は彼に気付かれないようにこっそりとため息をつき、煮物を箸でつついた。

(……ああ、会話がなくて気まずい)

 主任は食事中はテレビを見ない派のようだ。そういえば祖母の節子も、食事中はテレビをつけず家族と会話している。
 なにか話題をと考えあぐねて、思いついたのは先ほどの疑問だけだった。単刀直入に柏村主任にぶつけてみる。

「主任はいま、その……恋人はいらっしゃるんですか?」
「いたらきみと同居なんてまさしくしないだろうな」
「あ、そう……ですね」

 やはりフリーだったか、と安心しつつも、ガッついているのがばれてしまったかもしれない、とも考えて少し落胆する。

(少し黙っておこう……)

 柏村主任と同じように押し黙ってお昼ごはんを食べ進める。
 ほー……ほけきょ、とうぐいすの鳴き声が聞こえた。庭の木にとまっているのだろう。きれいに手入れされている和風の庭を眺めつつ、ふたりはその後も静かに食事をした。


 昼食を終えて後片付けを済ませ、ハンドバッグを片手に玄関へ向かっているときだった。トイレから出てきた柏村主任と出くわした。

「あ、えーと……。買い出しに行くんですけど、なにか必要なもの、ありますか?」
「いや……」

 主任の瞳がこちらをまじまじと見おろしている。
 こっちを見てほしい、とせつに願っていたわけだが、実際にそうなると――どうもいたたまれない。

「……その格好で行くのか?」
「は、はいっ」

 意識してもらえたのだろうかとにわかに心が湧き立つ。

「今日は思いのほか冷えるからコートを羽織っていったほうがいい。風邪を引くぞ」

 優樹菜はほころんだ口もとのまま固まった。

(おばあちゃんみたいなこと、言うのね……)

 優樹菜が薄着で出かけようとしているといつもそうして声をかけてくれていた。

「そうですね……。そうします」

 まわれ右をして自室へ戻る。

「ホント、まだまだ冷えますよね、もうすぐ春だっていうのに」

 優樹菜の春は、まだまだおとずれそうにない。
 柏村は優樹菜の前を歩いていた。彼の部屋の前にさしかかる。しかし柏村は部屋のなかに入ろうとしない。

「……?」

 優樹菜が通り過ぎるのを待っているようだ。
 軽く会釈をして彼の部屋を通過し、最奥の自室へ向かう。
 このとき優樹菜は、彼のこの行動を気には留めなかった。

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posted by 熊野まゆ at 07:07| クールでウブな上司の襲い方《完結》

2016年02月22日

クールでウブな上司の襲い方1-07


 食材の買い出しを終えて岩代荘に戻った優樹菜は下宿屋の掃除に取り掛かった。
 玄関まわりと庭の枯れ葉をほうきで掃き、そのあとは廊下や台所、居間の床や畳を一掃して、家具や窓の汚れを落としていった。
 掃除中といえどミッションは忘れていない。『作戦その二』は『お部屋掃除で急接近! 床ドンあるかも!?』である。
 優樹菜はお目当ての彼の部屋以外の掃除をせっせと終わらせて、自室を手早く片付けたあとに満を持して柏村主任の部屋へ向かった。

(おばあちゃんの話だと、彼の部屋もおばあちゃんが掃除してるって言ってたし)

 あらかじめ祖母から下宿屋の業務範囲を大まかに聞いていた。そのなかには住人の私室の掃除も含まれているので、優樹菜は大手を振って彼の部屋に侵入できるというわけだ。
 トクトクとにわかに心を弾ませながら柏村主任の部屋をノックする。玄関には今朝と同じような状態のまま彼の靴が置いてあったから、外出はしていないはずた。

『……はい』

 扉はひらかず、声だけが聞こえてきた。なんとか聞き取れる音量だった。

「あ、えっと……。すみません、おやすみでしたか?」
『いや』
「あ、でしたら……お部屋の掃除をさせていただきたいのですが、よろしいですか?」
『けっこうだ』

 ああ、デジャヴだ。この下宿屋に住み込みで働くことを一度は断られたのほんの数時間前。まだまだ記憶に新しい出来事だ。
 またしても申し出を断られ、しかし予測していた事態なのでへこたれはしない。

「主任、お言葉ですが、祖母から言付かっております。こちらのお部屋も掃除するように、と」

 仰々しく得意げに言ってみる。祖母の名を出せばイッパツだろうと、心のどこかで思っていた。

『いや、いい。俺の部屋は放っておいてくれ』

 しかし主任は思いのほか頑なだった。

「で、でも……。ええと……」

 あわててほかのこじつけを考えるが、思いつかない。

「……では、失礼します。すみませんでした」

 結局は二の句が継げず、引き下がるしかなかった。

(うーん、誤算だった……)

 優樹菜は口を尖らせてとぼとぼと長廊下を歩いた。

(まあ、いいか)

 あわよくば彼の部屋を見てみたいと思っていただけだ。主任の部屋に入れてもらえなくても、食事のときには顔を合わせることになる。

(あんまりしつこくして、よけいに嫌われたら困るし)

 現段階ですでに好かれている気はしない。むしろ迷惑がられているという自覚はおおいにある。

(よしっ、次は豪華な夕飯を作って家事力のアピールだ)

 ふんっ、と鼻息を荒げて意気込み、優樹菜は次なる作戦の遂行に移るのであった。

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posted by 熊野まゆ at 06:13| クールでウブな上司の襲い方《完結》

2016年02月24日

クールでウブな上司の襲い方1-08


 『豪華な夕飯で家事力アピール作戦!』は成功したのかどうかわからないまま終わり、同居一日目の夜ということで私室の鍵を開けっぱなしにして夜這いを待つも、案の定というか、なにごともなくすがすがしい朝をむかえた。

(いや、そりゃそうだけどね。でも期待するのは自由じゃない! 甘い夢を見るのは私の自由だ……)

 ――と、誰に言いわけをするわけでもなく、古めかしい鏡台の前で身支度を整えて私室を出る。
 台所で朝食を作っていると、

「――おはよう」

 不意にうしろから声をかけられ、ちょうど味噌汁の味見をしているところだったから、噴き出しそうになってしまった。

「あっ、おっ、おはようございます、主任」

 まさか彼のほうが先に声をかけてくれるとは思っていなかったので、思いがけず嬉しくなってしまう。
 にやけ顏で柏村主任を振り返る。

(ギャッ、ギャップ……!)

 ギブアップではない、ギャップだ。柏村主任はジャケットこそまだ着ていないが、真っ白なワイシャツとそれから銀の地色に青のストライプが入ったネクタイを身につけ、濃紺のスラックスを履いていた。すべてシワひとつなく、ビシッときまっている。
 昨日のうちにスウェット姿が見慣れたのもあって、会社でおなじみとはいえよけいに萌える。
 なんのへんてつもないスーツ姿だというのに、色気があるのはなぜだろう。
 彼のなにもかもバランスよく整った立ち姿に、お玉を持ったまましばし見とれる。

「……どうした?」
「ふぉっ、お、いえ……コホンッ。すぐに朝食にしますので、少しだけお待ちいただけますか?」

 鼻血を噴く寸前だというのは伏せて取りつくろう。
 柏村主任は短く「ああ」とだけ答えて、定位置とおぼしき居間の隅に腰をおろしたのだった。


 朝食を終えて柏村主任を玄関先で見送ったあと、優樹菜は急いで後片付けをして自身も出社した。

(なんだか、新婚みたいだったなぁ……)

 エプロンをしたまま玄関先で「行ってらっしゃい」と彼に告げることができたのはこのうえなく幸せだった。
 被害妄想、あるいは極めておめでたい発想だが、独りよがりでも新婚気分を味わえたので大満足だ。

(――って、こんなんで満足してたら発展しないじゃない)

 自分自身にツッコミを入れて気持ちを入れ替える。目指すところはあくまで『恋人』だ。

(――っと、いけない、いけない。いまは勤務中なんだから)

 妄想の彼方に飛んで行ってしまいそうだった思考をもとに戻して、パソコンでの入力業務を進めていると、視界の隅に柏村主任の姿をとらえた。

「磯貝さん。これなんだけど、次の会議の人数分をコピーしておいて。いまやってる仕事が終わってからでいいから」
「は、はいっ!」

 柏村主任にコピーを頼まれるのは初めてではない。
 しかし、名前で呼びかけられたのはまぎれもなく初めてだった。
 いつもなら唐突に「コピーしておいて」だけなのだ。

(少しずつ、進展してるのかな……)

 名前を呼ばれたのはたまたまかもしれないけれど、それでも嬉しい。
 優樹菜は口もとがニヤけるのをなんとかして理性で抑えつつ、カタカタとせわしなくキーボードを叩いた。

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posted by 熊野まゆ at 06:15| クールでウブな上司の襲い方《完結》

2016年02月26日

クールでウブな上司の襲い方1-09


 柏村主任と同居を始めて数日が経った。
 幸か不幸か、とくに問題もなく平穏に過ぎている。
 お風呂でバッタリなどという嬉しいハプニングもなにもない。
 週末、夕飯の片付けをしながら優樹菜は考え事をしていた。

(いくら私が主任に好意があるからって、他人なんだから一緒に住むとなるとなにかあるかな、ってちょっとは覚悟してたんだけど……)

 なんの摩擦もなく共同生活ができているのは、彼が食事のとき以外はほとんど部屋に引きこもっていて、かつ食事を含め優樹菜の行動についてなにも言わないからだろう。
 味付けはどうかと聞いても「ちょうどよい」だし、なにか不便なことはないかと聞いても「なにもない」と返される。
 本当にそうなのか、それとも遠慮をしているの判別がつかない。

(もっと知りたいな、主任のこと)

 ふう、と静かに息をつき、キュッと蛇口を閉めてタオルで手を拭き、エプロンを外して台所を出る。
 ちょうど柏村主任の部屋の前を通りかかったときだった。
 ガチャッ、キイッと音を立てて彼の部屋の扉が大きくひらいた。

「……っ」
「……!」

 ばったり出会っただけなら、ふたりは息をのんではいない。
 大きくひらいた扉の向こう――柏村主任の私室がどんなふうになっているのか、バッチリ目撃してしまった。

「わ、わたし……なにも見てません!」
「……見たんじゃないか」

 パタン、と後ろ手に部屋の扉を閉めながら柏村は床の隅に視線を投げた。

「あ、ええと、その……」
「……気持ち悪いだろう」

 ぶんぶんと頭を左右に振って彼の言葉を否定する。
 柏村主任の部屋は想像とかけ離れていて驚きはしたけれど、それがどうということはない。趣味は千差万別、人それぞれだ。他人がとやかく言うことではない。
 それよりも、彼が着ている水色のワイシャツの襟が大きくひらいていて、鎖骨がのぞいていることのほうがむしろ気になる。

「えっと……くまっぷまん、私も好きですよ?」

 色っぽい首もとをこれ以上意識してしまわないように、と思って話しかけた。

「……本当か?」

 柏村の表情がわずかに明るくなる。
 ――彼の部屋は大量のぬいぐるみであふれかえっていた。
 部屋のなかを見たのは一瞬なのですべてかどうかはわからないが、『くまっぷまん』という、昔から子どもたちに大人気のキャラクターのぬいぐるみだ。
 優樹菜はにっこりとほほえんで話を掘り下げる。

「私、姪と一緒にくまっぷまんの映画を見に行ったりしますよ」
「……俺はいつもひとりで見に行く」

 柏村の表情がふたたびかげる。先ほどと同じように「気持ち悪いだろう」とつぶやいた。

「そっ…んなこと、ないです。あ、いま新作の映画をやってますよね! もうご覧になりました?」
「いや、まだだ」
「じゃあ、一緒にどうですか? 明日あたり」

 優樹菜の提案に、コクンと無言でうなずく柏村はまるで、褒美を約束されてなだめられた幼な子のようだった。

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posted by 熊野まゆ at 06:18| クールでウブな上司の襲い方《完結》

2016年02月29日

クールでウブな上司の襲い方1-10


 優樹菜は湯に浸かってガッツポーズをしていた。
 思いがけずデートの約束を取り付けることができた。これぞまさしく嬉しいハプニングだ。

(よっぽど好きなんだろうなぁ、くまっぷまん……)

 なぜ彼がそれほどまでに幼児向けのキャラクターに固執しているのか、優樹菜は知る由もなかった。
 また、なぜそうなのかと探る気もない。ともに見る映画がなんなのかということよりも、ともに過ごして時間を共有することのほうが重要だ。

(ふふ、楽しみだな)

 優樹菜はいっそうにいっと口角を上げて、頬を両手で覆って顔のリフトアップに励んだ。


 翌日は見事な快晴だった。まさしくデート日和だ。
 昼食を済ませて岩代荘を出たふたりはぽかぽか陽気のなかを駅まで歩いた。
 柏村の隣を歩く優樹菜はなかなか落ち着くことができなかった。
 彼の私服姿が素敵すぎるせいだ。
 コットン系のグレーのテーラードジャケットに白いVネックシャツ、ベージュのチノパンというシンプルな出で立ちだが、きっとスタイルがよいからだろう。モデルさながらのオーラを放っているような気がする。
 優樹菜は彼にめろめろだった。

(それに引きかえ私は……大丈夫かな)

 露出の多い服だとまた「風邪を引く」と心配されてしまうかもしれないので、オフタートルネックのドルマンスリーブニットワンピースを着ている。
 ここのところデートとはほど遠かったから、昨夜はあわてて私室でああでもない、こうでもないとコーディネートに悩み、結局のところあまり気合いの入っていない無難な服装となった。

(なにはともあれ、せっかくのデートなんだから楽しまなくちゃね)

 それからふたりはとりとめもない話をしながら駅まで歩き、電車に揺られて映画館に到着した。

「あ、チケット代……」

 チケットカウンターで財布を取り出していると「いい、いらない」と断られた。
 優樹菜はスタスタと歩いていく柏村に早足でついていく。
 ごく真面目な顔つきで『くまっぷまんのドキドキ大冒険、くまの王国編を二枚』と言ってチケットを購入しているさまが面白くて、なんだか可愛らしくて笑いをこらえるのが大変だった。
 ポップコーンとオレンジジュースを手に座席につき、上映が始まるのを待つ。まわりは小さな子どもを連れたファミリーがほとんどなので、少しばかり浮いているような気もするがそこはあえてスルーだ。
 柏村主任のそばに座っていられるというだけで幸せだ。彼からはなんだかいいにおいがする。もっと香りを吸い込みたくてスンスンと鼻を鳴らす。

「……遠慮せず食べていいぞ」
「――え」

 柏村はまだポップコーンに手をつけていない。彼よりも先に食べはじめるのを優樹菜が遠慮しているのだと勘違いしているようだ。

「あ、はは……はい。いただきます」

 食べたいのはポップコーンじゃなくてあなたです、などと本当のことが言えるはずもない。
 優樹菜は手に持っていたキャラメルポップコーンを手探りでひとつだけつまんで口に運んだのだった。

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posted by 熊野まゆ at 05:10| クールでウブな上司の襲い方《完結》


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