2016年04月21日

いたずらな花蜜 プロローグ


「お願い、フィース。私……このままじゃ、気がへんになってしまいそう。……ううん。もう、へんになってる」


 濡れた瞳は萌黄色だった。
 おかしい。彼女の瞳は国王陛下ゆずりの碧眼で、青いはずだ。

「アリシア? きみ……」

 フィース・アッカーソンは次の言葉に詰まる。
 夜更けの――俗に言う、いかがわしい行為をするための――宿屋で、麗しく可憐な姫とふたりきりなのだ。それも、幼少期から淡い恋心を抱いてきた、5つ年下の女の子と。
 アリシアの、無防備で艶っぽいバスローブ姿を前に、ただでさえ昂ぶる下半身をもてあましていたというのに、ベッドの上で面と向かって迫られてはたまらない。
 彼女の髪の毛はまだ濡れていた。それは朝露を弾く桃のようにみずみずしく、美しい。揺れる瞳は、どうしてかふだんと違う色――黄緑に見える。

(俺の目がおかしいのか、それともこれ自体が夢なのか)

 フィースは自身の薄いバスローブの前をかき合わせた。そこへ、アリシアの細い指が触れる。

「あ、アリシア……ッ?」

 いとけなさの残る顔は女性と形容するにはまだ早く、しかし少女というのにも少し遠い。コルセットがなくとも形がわかるほどふくよかにふくらんだ胸もとは、とても魅惑的だ。

「わ、たし……っ、へんなの。あなたの……その、裸が見たくて、たまらないの」
「――!!??」

 彼女に触れられているところが、熱い。合わせになっているバスローブの隙間から、細い指が潜り込んで素肌に触れている。
 哀しそうに下がった形のよい眉とつややかな唇が、フィースの庇護欲をかき立て、性欲をいっそう高めさせる。

「落ち着くんだ、アリシア」

 自分自身にも同じことを言い聞かせるつもりで彼女をなだめる。

「きみはきっと、なにかへんなものを食べたか、あるいは……寝ぼけているんだ」

 アリシアの表情が引きつる。

「あ、いや、ちがう。その……っ。そんな……哀しそうな顔をしないで」

 瞳からはいまにも大粒の涙がこぼれ落ちそうだった。フィースはあわてて言いつくろったあとで、そっとアリシアの背を撫でた。
 びくっ、と彼女の体が跳ねる。その反応になによりも驚いたのはフィースだ。
 ふたりは幼いころから仲がよく、またアリシアはフィースによく懐いていた。手をつないでも、肩が触れても、ハグをしても、こんな反応はされたことがなかった。
 男として意識されていないと思っていたのだが、いまは――。
 アリシアが距離を詰める。シーツとバスローブがこすれる音が、どうしてかなまめかしいものに思える。

「そ、こ……じゃ、なくて……。べつのところに、さわってほしいの」

 アリシアは下半身を押さえてこちらを見上げてくる。

「ここ、が……すごく、ムズムズするの……!」

 フィースは息をのむ。
 ――ああ。俺は近いうちに、死ぬかもしれない。

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posted by 熊野まゆ at 07:01| いたずらな花蜜《完結》

2016年04月22日

いたずらな花蜜1-01


 ランプの薄明かりだけを頼りにアリシア・シュバルツは古めかしい書物のページをめくっていた。その碧い瞳はランプの灯りに照らされて爛々と輝いている。まるで彼女の好奇心を映しているようだった。

「――あのぅ、姫様。そろそろご公務にお戻りになったほうが……」

 アリシアがこもっている閉架書庫の入り口で、時間を気にしながらオロオロしているのは王立図書館の司書であるキャサリンだ。手にしている懐中時計と、沈みかけている夕陽を交互にせわしなく見つめている。

「うん、もう少しだけ……」

 もやは常套句であるアリシアの返答に、キャサリンはウェーブがかった金の髪の毛を揺らしてひそかにため息をつき、うなだれた。公務をサボって閉架書庫の書物を漁りにくる第一王女に、キャサリンは常日頃手を焼いている。

「……――これ、これよ!」

 王女の突然の叫び声にキャサリンはビクッと肩を弾ませた。アリシアの大声には、いつまで経っても慣れないようすだ。

「ど、どうなさいました? 姫様」
「神話の聖地を、見つけたわ!」
「ああ……。また、ノマーク神話ですか?」
「そう!」

 アリシアはかたわらに置いていた羊皮紙にスラスラと書物の内容を書き写していく。閉架書庫の書物は持ち出し厳禁なので、こうするよりほかにない。

「あの、いつも申し上げておりますが……姫様にでしたらお貸し出しいたしますよ」
「ダメよ! 例外を作ってはだめ。それに私、借りていっても失くしちゃいそうだし。……でも、ありがとうね、キャサリン」

 必要なところを書き写し終えたアリシアは満面の笑みでキャサリンを振り返った。
 気取らず屈託のない笑顔を前にキャサリンの口もともゆるむ。

「いえ、そんな……。さて、次はフィース様のところですか?」

 「ええ!」と軽快に返事をしてアリシアは立ち上がり、彼女の髪と同じ色のドレスをひるがえす。薄桃色の鮮やかなドレスは可憐なアリシアによく似合う。
 淡いピンク色の長い髪の毛をなびかせて小走りしながら、アリシアは言う。

「ルアンドが来たら、うまく言っておいてくれる? それじゃあキャサリン、またね。お疲れ様!」
「わかりました。でも、期待はなさらないでくださいね。ルアンドには姫様の行動はお見通しですから」

 走り去っていく華奢な背中に向かってキャサリンは呼びかけた。アリシアはぶんっ、と豪快に右手を一振りしてウィンクをする。
 キャサリンはゆるんだ口もとのまま控えめに手を振り返し、ドレスのすそがめくり上がるのも気にかけず外廊の角をキュッと曲がっているおてんばな姫を見送った。

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posted by 熊野まゆ at 06:00| いたずらな花蜜《完結》

2016年04月23日

いたずらな花蜜1-02


 アリシアは夕陽を眺めながら外廊を小走りしていた。吹き抜ける風は強く、つめたい風が頬を打つ。このシュバルツ城は小高い丘に位置しているから、街よりも少しばかり冷える。

(フィース……。鍛錬場にいるといいけど)

 いちばんの仲良しである幼なじみの姿を思い浮かべる。21歳という若さで王立騎士団の副団長を務める彼はここのところ多忙だ。以前のように、ふたりでこっそりと城を抜け出して遊びに行くということがめっきり少なくなった。

(それに最近は、ろくに話もしてくれないし……)

 彼は朝から晩までせわしなく働いている。忙しいのはわかるのだが、それはフィースが王立騎士団に入団した16歳のころから変わらない。それでも、少し前まではアリシアの寝室で一晩中、語り明かすこともあったし、フィースの屋敷でともに寝泊まりだってしていた。だから、接する機会は多かった。
 しかしそれも、年々減ってきて――。

(……寂しい、よ)

 アリシアが公務を怠ってフィースのもとへ向かうようになったのはごく最近のことだ。それまでは、夜になったら彼に会えるというのを楽しみに、苦手なダンスのレッスンや茶会、賓客のもてなしをきちんと――いや、たまに城を抜け出していたので――おおむね、こなしていた。
 フィースに会えますように、と願いながら城の地下にある騎士団の鍛錬場に到着したアリシアはそっと鉄扉を押し開けてなかをのぞいた。
 カキンッ、と金属がぶつかり合う音が響いている。フィースもまた、ほかの団員にまじって鍛錬に励んでいた。副団長である彼はすでにじゅうぶん剣の腕がたつのだが、とにかく体を動かすのが好きなので、フィースは日々の鍛錬を怠らないのだ。

「――姫様、またいらしたんですか」

 鍛錬場の入り口からなかをのぞき込んでいるアリシアに気がついたフィースが駆け寄ってきた。

「フィース……! あ、ええと……」

 迷惑そうな、困ったような顔をされると尻込みしてしまう。しかし食い下がる。

「お仕事の邪魔をしてごめんなさい。でも、あなたとゆっくり話がしたくて。鍛錬のあと、時間はある?」
「……俺は今日も遅くなると思うので……申し訳ございませんが」

 ――ああ、彼のこの他人行儀な話し方はどうも気にくわない。ふたりきりのとき、フィースは敬語なんて使わない。いまはまわりに騎士団の面々が大勢いるから、お互いの立場上しかたがないのはわかる。わかるからこそ、ふたりきりでゆっくり話がしたいというのに。

「……フィース、ちょっと」

 彼の腕をひっつかんで鍛錬場の外へと連れ出す。

「ねえ、明日はお休みでしょ? 遅くなってもいいから……。あ、そうだ。あなたのお屋敷に泊まりに行ってもいい?」
「いけません」

 即答され、アリシアはあからさまにムッとする。

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posted by 熊野まゆ at 05:47| いたずらな花蜜《完結》

2016年04月24日

いたずらな花蜜1-03


「敬語はやめてよ。いまはふたりきりじゃない」
「……アリシア」

 フィースがため息をついたのがわかった。鍛錬場の外にはいまは誰もいないけれど、パブリックスペースであることには違いない。フィースは暗にそのことを言いたくて、こういう態度なのだろう。

(どうしてそんなに人目を気にするのよ。ちょっと前までは、どこでだっていつも通り話してくれたのに)

 話しかけるだけでそんなに迷惑をかけるのだろうかと不安になりつつ、しかしまだあきらめない。

「……じゃあ、お仕事が終わったら私の部屋に来て」
「仕事が終わるのは夜更けだ」

 フィースが銀の前髪を手でうっとおしそうにかきあげた。いまのいままで体を動かしていた彼は汗をかいている。前髪が額に張り付くのが気持ち悪いのだろう。
 アリシアはフィースの鮮やかな翡翠色の瞳を見つめて言う。

「いつまででも待ってる。だからあとで必ず来て。お願いねっ」
「ちょっ、アリシア!」

 くるりときびすを返し、アリシアは一目散にその場をあとにした。まさに言い逃げだ。

(こんな言い方ずるいし、フィースには迷惑でしかないってわかってるけど――)

 誰にも邪魔されずふたりきりで話をして、明日の休みに出かける約束をなんとしても取り付けたい。

(来て、くれるかな……)

 頬を赤く染めて、うつむき加減に淑やかに歩くさまは恋する乙女そのものだが、彼女の恋心は未発達で、自覚はない。

「……――ひ〜め〜さ〜ま〜ッ!」

 アリシアは廊下の角でギクリとして足を止めた。
 「げっ」と言いながら声がしたほうをおそるおそる振り返る。

「いったいどちらにいらしたんですか」

 彼の言葉は疑問形ではなかった。アリシアの行動に対して確信があるのだろう。
 第一王女のお目付役である侍従のルアンドはツカツカとアリシアに近づきながら低い声音で言う。

「またフィース殿のところですか。いいですか? あなたはいずれ然るべき相手とご結婚なさるのですよ」

 もう幾度となく言われた言葉だ。うんざりする。

「でもお母様は、誰とだっていいとおっしゃっているわ。それに私、まだ16だし。結婚とか、ぜんぜん興味ない」

 アリシアはぷいっとそっぽを向いた。このやりとりも、もう何度も繰り返してきた。本当に本当にウンザリする。
 アリシアはルアンドの、ぴっちりとうしろへ撫でつけられた茶色い髪をうらめしそうに見上げた。夕方だというのに少しも髪型が乱れていないのはなぜだろう。彼はまだ30歳前後だったと思うが、神経質そうな髪型のせいで老けて見える。

「――ですが、陛下はきっとお許しになりませんよ。ですから好き勝手な行動をなさるのは控えていただきたい」
「いったいなにが問題だっていうの? 幼なじみに会いに行ってるだけじゃない。それに、お父様は誰との結婚だって反対するに決まってるわ。一生、誰とも結婚しなくてもいいとおっしゃっていたもの」

 アリシアが憤然と言い放った。いっぽうのルアンドは、「はぁぁ」と盛大にため息をついて頭をかかえたのだった。

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posted by 熊野まゆ at 05:26| いたずらな花蜜《完結》

2016年04月25日

いたずらな花蜜1-04


 フィースに、部屋に来るようにと一方的に頼み込んだ日の夜、アリシアはネグリジェの上にガウンを羽織っただけの恰好で自室のソファに座っていた。
 かたわらにはティーセットを乗せたワゴンを準備している。

(昔はよく本を読んでもらっていたっけ……)

 アリシアが手にしているのは『ノマーク神話全集 その2』だ。
 夕刻、閉架書庫で見つけた『聖地』というのは、この本に描かれている場所のことだ。
 ノマーク神話はシュバルツ国の実在の場所をもとに作られている。アリシアはこの物語の舞台に赴くのが大好きだった。
 きっかけはフィースだった。アリシアがまだあまり文字が読めない時分に読み聞かせをしてもらい、さらには物語に登場する場所が実在すると知り、ふたりで城を抜け出して聖地を巡ったものだ。
 幼少のころは、抜け出すといっても城の近くばかりだったが、いまならもっと遠くまでふたりで行くことができる。物理的には、できる。あとはフィースがその気にさえなってくれれば――。


 コン、コンッというひかえめなノック音でアリシアはパッと顔を上げた。
 あわてて立ち上がり、訪問者を確かめもせずに扉を開けた。

「――アリシア。そう簡単に寝室の扉を開けるのはよくないと、いつも言ってるだろ」
「フィース! 来てくれたのね、ありがとう。さあ、入って」
「ああ……」

 フィースは『やれやれ』といったふうに眉尻を下げたあと、扉の外に控えていた見張りの騎士団員に目配せをしてアリシアの寝室に入った。

「さあ、座って。すぐにお茶を淹れるから。あ、スコーンもあるわよ。あなたの好きなミックスベリージャムも」
「いや、長居をするつもりはないから。……それで、用件は?」
「……お茶の一杯くらい、いいじゃない」

 アリシアは唇を一文字に引き結んでティーポットに手をかける。茶葉やティーカップは侍女が準備してくれていたので、お湯を注ぐだけの状態だった。
 オレンジティーをふたつと、それからいくつかのスコーンをソファの前のローテーブルに並べる。フィースは扉の前に突っ立ったままだ。

「……フィース」

 アリシアはクイッ、と彼の上着の袖を引いた。フィースはまだ団服のままだ。帯剣もしている。きっとまだ夕食もとっていないのだろう。あまり引き留めては悪いとわかってはいる。

「手短に済ませるから……お願い」

 クイッ、クイッと何度も白い袖を引くと、フィースはどうしてかバツの悪そうな顔をした。いかにもしぶしぶと、重い足取りでソファに腰をおろす。

(……どうして端っこに座るんだろう)

 ティーカップはソファの中央に並べて置いた。それなのに、フィースはソファの端に腰掛けてしまった。

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posted by 熊野まゆ at 06:37| いたずらな花蜜《完結》


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