2016年04月27日

いたずらな花蜜1-05


 アリシアはティーカップとスコーンをテーブルの端に寄せ、自身もソファの端――フィースの真横に座った。彼はこちらを見ようとはせず、無言でティーカップを手にとって一口だけすすった。
 アリシアはスコーンにジャムを塗りつけながら彼のようすを横目でうかがう。

「え、と……お腹、空いてるよね? はい、あーん」
「――!?」
「ほら、口を開けて」

 ずいっ、とスコーンを彼の口の前まで差し出す――というか、押し付けた。
 ためらいがちにフィースの口がひらき、スコーンをひとかじりする。

「おいしい?」
「……ん」

 フィースはモグモグと口を動かしている。

「どんどん食べて」

 彼が素直にスコーンを食べているのが嬉しい。アリシアはニマニマとほほえむ。

「………」

 フィースの翡翠色の目がわずかに細くなった。アリシアが手にしているスコーンはもう残りわずかだ。おそらく次が、最後の一口。

「……っ!?」

 フィースはアリシアの手首をつかんで大きく口を開けた。彼女の指ごとスコーンの欠片を口に含み、華奢な指先をペロリと舌で舐め上げる。

「……っぁ」

 アリシアが手を引っ込める。
 たしか前にもこういうことがあった。もうずいぶんと昔のことだ。

(あ、れ……。なんだろう……。いま、されると……なんだか、すごく恥ずかしい)

 アリシアは引っ込めた右手をどうしたらよいのかわからず、手持ち無沙汰にうつむいていた。
 いっぽうのフィースは何食わぬ顔でオレンジティーをすすっている。

「――で、話ってなに?」
「あ、うん。秘密の花園に、一緒に行ってもらいたくて」
「秘密の花園って、ノマーク神話の二巻に出てくるところ?」
「そう! 具体的な場所を突き止めたの。明日、どう?」
「んー……」

 フィースの表情は浮かない。

「なにか用事がある?」
「いや、ないけど……」
「じゃあ、決まりねっ」
「いや、待ってアリシア」

 アリシアは強引に話題を変える。

「ねえフィース、疲れてるでしょ。肩を揉んであげる」
「……いい、けっこうだ」
「遠慮しないで。ね? 私、けっこう上手いのよ。いつもお父様の肩を揉まされているから」

 フィースがオレンジティーを飲み終わるのを待ってからアリシアは彼の背をグイグイと強引に押してうしろを向かせた。両肩に手を乗せて揉み始める。

「……あんまり凝ってないわね」
「まあ、そりゃ……机上で仕事をすることがあまりないから。というか、そういうのは肩が凝るから嫌いだ」
「ふふ、フィースは本当、体を動かすのが好きよね」

 ああ、久しぶりにマトモに会話ができている。
 アリシアは顔をほころばせて、あまり凝っていない肩を揉みほぐしていく。

(肩幅……こんなに広かったかしら)

 そんなことをぼんやりと考えながら両手を動かす。

(……なんだか、眠くなってきちゃった)

 しかしまだ、彼に触れていたいと思った。
 アリシアはしだいにウトウトと舟を漕ぎ、とうとうまぶたを閉じて、フィースの広い背中に突っ伏した。

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posted by 熊野まゆ at 04:50| いたずらな花蜜《完結》

2016年04月29日

いたずらな花蜜1-06


☆★☆

 温かな衝動が背に走る。

「……アリシア?」

 背中に体を預けられ、これはいったいどういうことだろうと考えを巡らせる。

(アリシア、もしかして――)

 俺に甘えているのだろうか。
 ここのところどうも、彼女とふたりきりになると理性的でいられない。自分を抑えるあまり、そっけない態度をとってしまう。

「――アリシア、俺は……っ」

 意を決して振り返るのと同時に彼女の体がグラリと揺らいだ。

「……っ!」

 あわてて抱きとめる。あやうくソファから落っこちてしまうところだった。

(いや、まあ……。こんなことだろうと思ったけど)

 穏やかな顔でスヤスヤと寝息を立てている可愛らしい姫君をそっと抱きかかえ、ベッドへ運ぶ。
 掛け布団をかけようとしていたフィースだが、急にピタッと動きを止めた。

(……少しくらい見ていてもいいよな)

 いやらしい目でアリシアを見ている自覚はあるが、彼女はいま寝ているしこの部屋にはほかに誰もいないのだから人目を気にする必要はない。
 フィースはアリシアのすべてを視線で舐めまわした。
 彼女は昔から可憐だったが、最近は以前にも増して魅力的になった。体つきが女性らしくなってきたせいだ。
 ゆっくりと上下する胸もとに注視する。仰向けになっていても、そこの主張は決して弱くない。

(あまりここばかり見ているのはよくないな)

 下半身が起きてしまわぬよう、フィースはアリシアの胸から顔へと視線を移した。
 髪の色は彼女の母親である王妃のそれだが、面立ちはどちらかというと国王陛下に似ている。
 あまり陽に焼けていない白い肌は透明感があって、しかし病弱という印象は受けない。はつらつとしていて張りがあり、みずみずしい。

「……っ」

 気がつけばアリシアの顔を間近で凝視していた。フィースはシーツの上に片手をついて自身を支え、もう片方の手で彼女の薄桃色の前髪をそっと撫で上げて額をあらわにし、そこへ口づけた。
 フィースが唇で触れても、アリシアはなんの反応も示さなかった。寝ているのだから当たり前だ。
 続けて、頬にキスを落とす。頬にはたいして肉はついていないのに、もちもちとしていて柔らかい。

「………」

 ぷっくりとしたアリシアの唇を指でなぞる。上唇の端から下唇の端までを、ぐるぐると何度も撫でたどった。
 きっと彼女は起きやしない。眠りはとても深いように見受けられる。
 いまここでアリシアの唇を奪っても、誰にもわからないし咎められない――。
 フィースが上体を低くする。ギシッ、とベッドがわずかにきしんだ。

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posted by 熊野まゆ at 05:03| いたずらな花蜜《完結》

2016年04月30日

いたずらな花蜜1-07


 ……――いや、だめだ。
 フィースはアリシアに寄せた顔を、なけなしの理性で引きはがした。
 いたいけで純朴な彼女の、おそらく初めての口づけをむやみに奪ってはいけないし、またそれだけで終わる自信がない。
 きっと、あらゆるところを貪り尽くしたくなってしまう。

(……長居は無用だ。不埒な行動を起こす前に退散しよう)

 婚約者でもなんでもないのだから、自分との仲を誤解されたらアリシアが困ることになる。
 彼女の専属侍従であるルアンドにも、ことあるごとに釘を刺されている。
 『第一王女であるアリシアは然るべき相手と結婚する』と――。
 ルアンドにそう言われるたびに腹がたつ。ただ、いまいち実感がない。
 アリシアは本当に純真無垢で無防備で、そういったことにはまったく興味がなさそうだ。
 それに、シュバルツ国における女性の結婚適齢期は20歳前後。アリシアにはまだまだ先のことだ。
 だからいまはひとまず、悪い虫がつかないように見守りたい。

(……いや、悪い虫は俺なのか?)

 フィースの父は外交官で、現国王陛下とは大変仲の良い友人関係にあった。
 親同士の交流が盛んだったため、国王の子どもであるアリシアとも自然と接する機会が多くなった。フィースはアリシアのことを赤ん坊のころから知っている。
 妹のような存在だと思っていた時期もあるが、いまはそれとは違う感情を彼女に抱いている――。
 フィースはアリシアの体を掛け布団で自分の目から覆い隠した。
 物音を立てないよう配慮しながら扉を開け、部屋の外へ出る。
 扉の前に立っていた見張りの騎士団員と、すぐに目が合った。

「すまないが俺がここにいたことはくれぐれも――」
「はい、他言無用にいたします」

 フィースよりもさらに年若い、入団してまだ一年ほどしか経っていない新米の騎士団員は意味ありげにニヤニヤと口もとをほころばせている。

「……言っておくが、やましいことはなにもしていないからな」

 額や頬にキスをした程度は『やましく』ないだろう。そんなものは挨拶と同じだ。――自分に都合のいい解釈かもしれないが。

「はいっ、承知しております」
「……それなら、いいが」
「お疲れ様でした!」

 敬礼してきた新米団員に、同じように礼を返してフィースはその場をあとにした。

(明日は久しぶりにアリシアと……)

 なかば強引に出掛ける約束をさせられたものの、本心ではやはり嬉しかった。

(……自制心、自制心)

 フィースは心のなかで自分自身を戒め、遅い夕食をとるべく極めて軽い足取りで食堂へ向かった。

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posted by 熊野まゆ at 04:59| いたずらな花蜜《完結》

2016年05月01日

いたずらな花蜜1-08


★☆★

 フィースと出掛ける約束をした日の朝はあいにくの曇天だった。
 曇り空ではあるが、いまにも雨が降り出しそう、というほどの暗雲ではない。じゅうぶん、出掛けることができそうな空模様だ。
 早朝に目が覚めたアリシアはいそいそと手早く身支度をした。

(ルアンドに見つかる前に城を抜け出さなくちゃ)

 ――とはいえ、忽然と姿を消すのはあんまりなので、置手紙を残していく。

(キャサリンのお屋敷へ遊びに行きます――っと)

 羊皮紙に走り書きをして、円卓の上に置いた。ほかにはなにも載っていないので、すぐに気がついてもらえるだろう。
 部屋の扉をそっと押し開け、扉の前に立っていた騎士団員に声をかける。

「おはよう。いつもご苦労様」
「おはようございます。……どちらへ行かれるのですか?」
「キャサリンのお屋敷よ。ルアンドには言ってあるから、安心して。それにしても、一晩中こんなところに立たされて疲れているでしょう? さあ、早く帰ってゆっくり休んで」
「はあ、ですが……。あっ、姫様! お待ちください!」

 アリシアはヒラヒラと手を振って駆け出す。どう考えても怪しまれているが、今日の見張りが新人の騎士団員だったのはラッキーだ。

(……でも、あとでフィースに言っておかなくちゃ。彼を責めないでって)

 見張りをしていた男性の上司は、城や王族の警護を担う王立騎士団の副団長であるフィースだ。最たる上司は団長だが、彼はアリシアの行動に対してとても寛容なので心配ないだろう。
 アリシアはなるべく見張りが少ない通路や出入り口を通って城をくだっていった。勤務を終えた侍女を装い、難なく城を抜け外に出る。こういうときのために、仲の良い侍女から私服を譲り受けていた。

(――ああ、すがすがしい)

 早朝特有のつめたい空気を思いきり肺のなかに取り入れたあとでいっきに丘をくだる。
 息が弾む。しかし、気持ちがよい。アリシアも、フィースと同じで体を動かすのが好きだった。
 はあ、はあっと息を切らして到着したのは、フィースの実家であるアッカーソン侯爵邸だ。
 裏門から厩舎をのぞく。

「――フィース! おはようっ!」

 門の鉄格子ごしに呼びかけた。フィースは厩舎で馬丁と一緒に馬の準備をしていた。こちらを振り返った彼の顔は驚きに満ちていた。

「なっ、アリシア……! どうして……。まさか、ここまでひとりで来たのか?」

 あわてたようすでフィースは裏門を開け、アリシアを敷地のなかへ招き入れる。

「うんっ! フィースに早く会いたくて」
「………」

 ふいっ、と視線を逸らされた。
 アリシアは肩をすくめる。

「……ごめんなさい。来るのが……あまりにも早すぎたわね」

 しゅんとしてうつむく。

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posted by 熊野まゆ at 05:34| いたずらな花蜜《完結》

2016年05月02日

いたずらな花蜜1-09


「あ、いや……。迎えに行くと言わなかった俺が悪い。……ところで、ルアンドにはちゃんと言ってきたのか?」
「う、うん。もちろん」

 ああ、誰にでも嘘ばかりついている。

(けど……。フィースと一緒にいたいんだもん)

 おずおずと彼を見上げる。今日のフィースは非番なので、団服ではなく私服だった。青い上着が見た目に涼やかだ。なかのドレスシャツは襟もとが大きく開いている。暑がりなフィースの私服はいつもこんな感じだ。

「……アリシア」

 彼もまた、アリシアを見つめていた。

「少し、汗をかいてる」

 フィースの腕が一直線に伸びてくる。首すじに張り付いていた髪の毛を、そっとつかまれる。

「ん……。くすぐったい」

 アリシアが目を細めて首をかしげると、フィースはパッと彼女の髪の毛を手放して腕を引っ込めた。

「――い、行こうか。馬の準備はできてる」

 フィースはクルリとうしろを向いて厩舎へ歩いていった。やけに早足だ。

(フィースも、私と出掛けるのを楽しみにしてくれてるのかな)

 はやる気持ちが足取りに表れているのだろうかと、いいように解釈してアリシアは顔をほころばせた。

 それからふたりは朝市で果物を物色し、パン屋でサンドイッチを調達して目的地へと馬で発った。
 アリシアはフィースが操る馬に横乗りして揺られながら空を見上げた。あいかわらずの曇り空だ。

「寒くはない?」

 フィースは前を向いたままアリシアに尋ねた。

「うん、平気。楽しいっ」
「楽しい……か? まだまだ『秘密の花園』には程遠いんだが」
「フィースが一緒だったら、どこへ行ってもなにをしても楽しいよ」
「……あ、そう」

 彼の頬が赤く染まっていることにアリシアは気づかない。

「――次はどっちの道?」
「ええと……」

 閉架書庫で得た情報をもとにアリシアは道案内をする。
 街はずれの川にさしかかったときだった。

「……やけに増水してるな」

 フィースは橋の手前で馬を止めた。

「秘密の花園はこの川の向こうよ」
「うーん……。確かこのあたりには橋はここだけ――ひとつしかない。おそらく上流ではかなり雨が降ってる。このまま川の水が増えていったら、もしかしたら渡れなくなるかも――」
「えー? 大丈夫よ、行きましょう」

 根拠もなくそう断言してアリシアはフィースに橋を渡るよううながした。
 しぶしぶといったようすでフィースは馬を進める。橋は馬が通ると、ギシギシといやな音を立てた。
 この橋を抜ければ、目的地まではあと少しだ――。

 郊外の、特にこれといって特産のない小さな町のさらにはずれに、ノマーク神話の聖地はあった。
 そこが神話に描かれている場所だと広く知られているわけではないようなので、観光客はいない。そもそも町のひとがここを神話の舞台として認知しているのかも怪しいところだ。


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posted by 熊野まゆ at 05:14| いたずらな花蜜《完結》


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