2016年11月06日

たなぼた王子の恋わずらい01


 ひとは俺をこう呼ぶ。
 ――たなぼた王子、と。


 アーウェル・クレド・ルアンブルはにわかに苛立っていた。
 それもこれもすべて兄のせいだ。第一王子たる責務をすべて放棄して――

(いや……俺に押し付けて、と言うほうが正しいか)

 とにかく、兄のオーガスタスはルアンブル国を捨てて出奔してしまった。いまは隣国にいる。なぜか森の奥深くに住み、医者をしている。
 そういうわけでアーウェルは国王の二番目の息子にもかかわらず王子としての国務をすべて背負うことになってしまった。とはいえ、もともと放浪癖のある兄の代わりに国務をこなすことが多かったから、日常生活にはこれといって変化がないというのが実情だ。
 アーウェルは執務机に頬杖をつき「ふうっ」とため息をついた。その手には真っ白な封筒が握られている。差出人は彼の兄、オーガスタス・マイアーだ。国を出奔したオーガスタスは隣国の王家筋であるマイアー公爵家の令嬢と結婚した。

(結婚式、か……。このクソ忙しいときにこんなものを寄越すなんて、相変わらずだ)

 アーウェルは心のなかでだけ悪態をつき、手紙を机の上に置いた。それは兄からの招待状だった。言わずもがな、彼らの結婚式への招待状である。
 国を捨てた兄から結婚式の招待状がくるとはじつのところ思っていなかった。事実、ほかの親類に招待状は届いていない。おそらくごく身近な人間だけを集めてこぢんまりと執り行うつもりなのだろう。

(……まあ、仕方がない。行ってやるか)

 兄のゲストが誰もいないのはさすがに不憫だ。
 アーウェルは姿勢を正して執務を再開する。結婚式までに雑多な執務は片付けておきたい。
 仕事に励む彼の顔がわずかにほころんでいることは、だれも知らない。


 結婚式場まではずいぶんと遠かった。
 山を越え、川を渡り、森を抜けてようやく式場――兄たちが住む屋敷に着いた。国を発ってから二日目の朝だった。

(前に来た時となにも変わってないな)

 兄がまだ第一王子だったころ、あまりにも長く彼が城を留守にするものだから、安否を心配して必死に捜した。するとまあ、なんのことはない。森の奥深くで女性をたらしこんでいただけだった。あのときの脱力感といったらほかにない。思い出すだけで腹が立つ。

(まあ、それも過ぎたこと。いまは幸せそうでなによりだ)

 湯面に浮かぶ葉を見つめアーウェルは大きく深呼吸をした。
 結婚式は正午からだ。それまではゆっくりと旅の疲れを癒すといい、と兄に言われ、いまは屋敷の裏に設えてある屋外の湯場にいる。
 なかなかよいところだ。湯温は熱いくらいだが、長旅で凝り固まった体にはちょうどいい。

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posted by 熊野まゆ at 06:35| たなぼた王子の恋わずらい《完結》

2016年11月11日

たなぼた王子の恋わずらい02


 アーウェルは何度も深呼吸をして森の空気を満喫した。立ち込める湯気は喉に優しく、どれだけそうしていてもむせ返ったりはしない。

(……そろそろ出るか)

 こんなふうに湯に浸かっていることはあまりないのでつい長居してしまったが、体は充分すぎるほど温まったし疲れもとれた。
 アーウェルが立ち上がる。ザプッと湯が跳ねた、そのとき。

『リルお姉さま、裏庭を見せてちょうだい!』

 小鳥が鳴くような美声が扉の向こうから聞こえた。

『あっ、だめよ! いまは――』

 そう、いまは義弟が裸で湯に浸かっている。兄の妻はそう言おうとしたのだと思う。
 階段の先にある扉がガチャッと勢いよくひらいた。

「きゃっ!?」

 アーウェルはまだバスタオルすら身につけていなかった。要するに素っ裸だ。

「――!?」

 アーウェルは目を見張る。いきなり人が入って来たからというだけではない。闖入者の、その容貌は天使と見まごうほど可憐で美しかった。
 蒼い髪の毛が風になびき、そしてそれがふわふわと落ちてくる。少女は階段を踏み外した。

「……――!」

 自分が裸であるのも忘れてとっさに抱きとめる。彼女の体は柔らかく、香水とはまた違うほのかな匂いがいっそう魅惑的だった。
 どれだけそうして彼女を腕の中に抱いていたのだろう。鮮やかな蒼い髪の少女は微動だにせずうつむいている。

「ご、ごめんなさい……っ」

 そう言いながらおずおずと顔を上げた少女に、思わず唇を寄せてしまいそうになった。
 潤んだ淡褐色の瞳には庇護欲をくすぐられる。白い肌には無意識に触れたくなる。みずみずしい桃色の唇を、むさぼり尽くしたくなった。

「……あの?」

 ああ、小鳥が美しく鳴いている。もっと彼女の声が聞きたくてたまらない。それから――。

「……っ、いや。俺のほうこそ、すまない」

 空色のドレスの下がどんなふうになっているのか妄想して不埒な感情をいだいてしまったことを詫びると、少女は何のことかわからないといったふうに小首を傾げた。

(な、なんて――)

 可愛らしいのだ。できればこのままずっと腕の中に閉じ込めておきたいが、見ず知らずの少女にそんなことができるはずもない。
 アーウェルはしぶしぶ、そっと彼女を解放した。

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posted by 熊野まゆ at 06:14| たなぼた王子の恋わずらい《完結》

2016年11月12日

たなぼた王子の恋わずらい03


 少女の名はカトリオーナ。カトリオーナ・マイアー、トランバーズ伯爵令嬢。兄の妻リルの姪だ。
 兄夫妻の結婚式は屋敷に隣接した東屋で執り行われた。予想していた通りこぢんまりとしたものだったが、森の花々にあふれた和やかな挙式だった。
 式のあいだじゅう、アーウェルはカトリオーナに夢中だった。気がつけば彼女を目で追っている。なかなか隣り合う機会がなく、話しかけることができない。

(仲良くなりたい……が)

 熱視線を送っているつもりだが、いっこうに目が合わないのだ。かといって、兄のように誰にでも気さくに話しかけることができる性分ではない。
 挙式は滞りなく、和やかに進んでいく。アーウェルにはそれは酷な仕打ちだった。
 アーウェルはとうとう、カトリオーナと言葉を交わすことなくルアンブル国に帰ることになったのだった。


 兄の結婚式を終えて帰国したアーウェルは頭を抱えた。
 仕事が、まったく手につかないのだ。
 なにをしていてもカトリオーナのことが頭に浮かぶ。いま彼女はなにをしているのだろう、なにを想っているのだろうと、考えてもまったくわからなかった。
(当たり前だ。俺は彼女のことを名と容姿しか知らない)
 だから知りたい。そう切望してしまう。彼女の性格を、趣味を、笑顔を、そして――淫らな姿を。

「――殿下。アーウェル殿下」

 名を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。

「あ、ああ……。なんだ?」
「ですから、来月の祝賀会の件です。招待客リストのチェックは終わりましたでしょうか」

 壮年の侍従に言われ、アーウェルは「ああ」と気のない返事をして執務机の引き出しを開け、祝賀会の招待客リストを取り出し目を通した。来月はルアンブルの建国50周年。それを記念した祝賀会だ。
 招待客のリストには隣国の王侯貴族の名も連なっていた。ふと、リストの中にマイアー公爵の名を見つけた。

「――これだ!」
「……はい?」

 侍従はいぶかしげな顔をしている。

「隣国のマイアー公爵子息であるトランバーズ伯爵とその妻子も招待する」
「かしこまりました。……オーガスタス殿下はいかがなさいますか? ご招待なされませんか」
「兄上は呼ばずともよい。医者だからな、患者をほっぽり出してあちらを空けるわけにはいかないだろう。またいずれ俺が森を訪ねるさ」
「左様でございますか」

 二人の王子を長年見守ってきた侍従はアーウェルから招待客リストを受け取り、そしてわずかに口の端を上げた。
 執務室から出て行く侍従を見送り、アーウェルは椅子の背に体を預けて天井を仰いだ。

(彼女は来てくれるだろうか)

 兄のおかげでマイアー公爵家とは親類関係になった。隣国とはいえ50周年ともなれば希少で記念すべき祭典だ。

「………」

 アーウェルはパッと身を起こし、机の隅に置いていた便せんとそれから羽根ペンを握った。
 トランバーズ伯爵宛てに手紙をしたためる。家族そろっての参加を念押しする内容だ。

「侍従! ここへ参れ」

 不安と期待の入り混じった声音で、アーウェルは侍従を呼んだ。

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posted by 熊野まゆ at 05:39| たなぼた王子の恋わずらい《完結》

2016年11月13日

たなぼた王子の恋わずらい04


 トランバーズ伯爵のもとにルアンブルの次期国王アーウェルから祝賀会への招待状が届いたのは、トランバーズ伯爵の妹リル、そしてアーウェルの兄オーガスタスの挙式から二週間ほどが経ってからのことだった。


「えっ、ルアンブル国へ……?」

 カトリオーナ・マイアーは父ロランに彼の私室へ呼ばれ、ルアンブル国50周年の記念祝賀会に伯爵家一同が招かれた旨を聞いた。

「うん。なんとアーウェル殿下直筆の手紙まで添えてある」

 ロランは黒革のソファに腰掛けていた。思案顔で足を組み直す。

「父上だけならまだしも、僕も――僕ら家族全員で来て欲しいと書いてある。彼はきみのことを気に入ったんじゃないかなぁ」

 ロランは複雑そうな表情を浮かべている。彼のななめ向かいに座っていたカトリオーナは右手をあごに当てて眉尻を下げた。

「そ、そんな……。お怒りを買うようなことはあっても、気に入るだなんて」

 叔母であるリルの結婚式でのことを思い起こす。
 王族の裸を見てしまったのだ。不敬罪になってもおかしくないというのに、現状はなんのおとがめもない。

「だってさ、このあいだのリルの結婚式でアーウェル殿下はカトリオーナのことばかり見ていたよ」
「きっと私がお気に召さなかったのよ。怒りに震えていらっしゃって……でも、私はリルお姉さまの姪だから、抑えていらしたのかも」

 先日、結婚したリルは父ロランの妹なのでカトリオーナの叔母に当たるのだが、彼女は叔母さんと呼ばれるのを好まないので、カトリオーナはリルをお姉さまと呼んでいる。

「いやぁ、アレは違うね。きみのことが欲しくてたまらない、そんな感じの熱い視線だった」
「お父さまったら……。勘違いよ。いいかげんに子離れしてちょうだい」
「そんな、カトリオーナ……! 冷たいことを言わないでくれ」

 哀しそうな顔の父親には目もくれずカトリオーナはロランが手にしている真っ白な便せんを見つめた。

「……お父さま。アーウェル殿下からのお手紙を拝見しても?」
「……はい、どうぞ」

 いかにもしぶしぶといったようすでロランはカトリオーナにアーウェルからの手紙を渡す。

(……なんて美しい字)

 癖のない、絶妙に整った流麗な文字に感銘を受ける。カトリオーナはうっとりとしたようすで何度も手紙を読み返していた。

「……カトリオーナ。まさかきみ、アーウェル殿下に好意を寄せているのか?」
「えっ!?」

 顔を上げると、父はひどく不機嫌な顔になっていた。

「わ、私はただ……もう一度お会いして、先般の不敬を改めてお詫びしたいだけです」

 ――いまの言葉は会いたい理由の半分だ。もう半分は、ただ単純に彼のことをもっと知りたいと思っているからなのだけれど、こんな父の前では口が裂けても言えない。
 あの日、アーウェルを初めて目にしたときから彼の姿が頭に焼きついて離れない――。

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posted by 熊野まゆ at 05:54| たなぼた王子の恋わずらい《完結》

2016年11月18日

たなぼた王子の恋わずらい05


 ルアンブル国への出立を明日に控えた夜、カトリオーナはなかなか寝付くことができずベッドの中で悶々としていた。

(アーウェル殿下……)

 燃えるような赤い髪は艶やかで、それと対照的な碧い瞳は深い水底を思わせる。その対比はあまりに鮮烈で、忘れたくても忘れられない。一目ですっかり魅了されてしまった。それにくわえて――。

(……っ! いやだわ、私。また思い出してしまった)

 アーウェルの、湯に濡れた滑らかでたくましい胸板と、それから脚の付け根にあったものを頭の中にありありと思い浮かべてしまい、とたんに顔が熱くなる。

(早く眠らなくては。目の下にクマを作った無様な顔で殿下に会うわけにはいかないわ)

 そうは思えど、いやそれゆえにいっこうに眠りに入ることができない。

(熊が一匹、二匹……)

 カトリオーナは固く目を閉じ、熊を数え始める。背中に羽根が生えた愛らしい熊の姿を思い浮かべる。それはこの国の絵本にたびたび登場する人気者であり貴族平民を問わず誰もが知っている普遍的なキャラクターだ。

(ああ……眠れない)

 恋する乙女の頭の中で産み出された羽根つきの熊は彼女の意に反して勝手に踊り出し、いっそうカトリオーナを眠りから遠ざけた。


 翌朝、ドレッサーの前の椅子に腰を下ろしたカトリオーナは愕然とした。目の下には予定調和さながらの黒いクマができていた。一睡もしていないので、むしろそこに何もないほうがおかしい。
 カトリオーナはあわてて引き出しからコンシーラーを取り出した。ふだんはあまり化粧はほどこさないが、叔母のリルから道具だけはいろいろと授かっており一通りそろっている。

(お願い、消えて……!)

 あれこれと試行錯誤すること小一時間、なんとかクマを隠すことに成功したカトリオーナは馬車に揺られているあいだも落ち着かなかった。
 何度も手鏡で身だしなみを確認しては窓の外を見やり、御者に旅程の狂いはないかと確認する。祝賀会の前夜祭は今日の夜だ。前日にルアンブル入りできればよかったのだが、父の仕事の都合でそれがかなわずやや強行的な旅程となっている。

(早くお会いしたい……)

 車窓から異国の青空を仰ぎ見て、カトリオーナは長いため息をついた。


 謁見の間へ続く廊下がいやに長く感じる――。

 カトリオーナがルアンブルに到着したとき祝賀前夜祭はすでに始まっていた。王都は活気にあふれ、民は浮かれ皆が喜び建国記念を祝っていた。
 王城もまた同じで、出会う人すべてがにこやかにカトリオーナたちを迎えた。
 城の侍従の案内で謁見の間に到着したロランとその妻イザベラ、それからカトリオーナは玉座にいるルアンブル国王に礼を尽くした。ロランが祝辞を述べ、国王が言葉を返す。そして次は国王のかたわらにいるアーウェルがロランに長旅をねぎらう、というのが定石なのだが、彼はいっこうに言葉を発しなかった。

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posted by 熊野まゆ at 08:18| たなぼた王子の恋わずらい《完結》


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