2016年12月16日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第一章01


 第一印象は最悪だった。もとよりジェラルドについて先輩のメイドたちはよくは言っていなかったので、先入観もあるのかもしれない。

『無愛想でぶっきらぼう。少しのミスでも首を切られる』

 そんなふうに聞いていたら初めから萎縮してしまう。なるべくジェラルドとは関わりのない仕事に携わりたかったのだが、ほかのメイドたちから仕事を押しつけられる形で彼の身のまわりの世話を任された。
 それはエリスが18歳、ジェラルドが23歳のときの話――。


「きみはなにもするな」

 初めて彼の執務室を訪ねたときに言われたのがそれだ。「本日から身のまわりのお世話をさせていただきますエリス・ヴィードナーです」と挨拶をしただけでまだなにもしていなかった。

(はなから信用できないってこと? でもなにもさせてもらえないんじゃ信用してもらう術がない)

 傍若無人で傲慢な男だと噂される彼に会うまでは戦々恐々としていたが、いざ面と向かってしまえばそれほど怖くはなかった。ジェラルドの面立ちは口調に似つかわしくない。黙っていればさほど棘はなく、なにより眉目秀麗だった。艶めいた金の髪と透き通る翡翠色の瞳は絵本に出てくる正義の貴公子のようだ。鼻筋はまごうことなく一直線に通っている。くっきりとした二重まぶたはほほえめばさぞ優しい印象になるのだろう。

(――って、見惚れてる場合じゃないわ)

 元来勝気な性格のエリスは初めから足蹴にされて黙ってはいられない。

「お言葉ですがご主人様、なにもしないわけにはいきません。メイド頭は私にほかの仕事を与えてくれません。仕事をしていないという理由で解雇されては困りますからせめてお部屋の掃除はさせていただきます。物の位置は動かしませんのでご安心ください」

 執務机に座って書き物をしていたジェラルドの手が止まる。彼が顔を上げた。初めて目が合う。

「ずいぶんと活きがいいな。……そんなふうに口ごたえされたのは初めてだ。名はなんだ?」
「エリス・ヴィードナーです。先ほども申し上げました」
「名前くらい覚えておけと言いたいのか。小生意気なやつだな」

 はっきりと嘲笑だとわかる顔つきになったジェラルドは腕を組んで椅子の背もたれに体をあずけた。

「好きにしろ。ただし部屋の物は掃除のあと数ミリもたがえずもとの場所に戻せ。さあ、すぐに始めろ」
「……かしこまりました。掃除用具を取って参ります」

 エリスはくるりときびすを返して執務室をあとにした。掃除用具一式を手に執務室へ戻るとそこにはまだジェラルドがいた。本来ならば主が不在のときに部屋の掃除をするものなのだが、彼は自分のことがよほど信用ならないのだろう。

(心配しなくてもなにも盗ったりしない。物を勝手に動かしたりなんかしないのに)

 メイド頭から一通りのことは教わっているし、仕事のやり方はノートに書き留めて何度も読み返し復習した。それでも実践するとなると失敗はつきものだとは思うが、そこ慎重に事を運べば補えるはずだ。

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posted by 熊野まゆ at 08:22| 伯爵は肉欲旺盛なお医者さま《完結》

2016年12月17日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第一章02


 エリスが掃除を始めると、ジェラルドは食い入るようにそれを見つめていた。無遠慮であること極まりなく、これではまるで監視だ。やりづらいことこの上ない。暇なのですかと聞いてやりたかったが、彼が領主と医者を兼業していることは知っているのでさすがに控えた。
 ジェラルドの執務室はよく見ると埃だらけだった。いつからここは放置されていたのだろう。ともあれ掃除のしがいがあるというものだ。エリスは彼の視線を気にかけず仕事に勤しんだのだった。


 ジェラルドがエリスに与えた仕事は執務室の掃除だけだった。決まって、彼が在室中に掃除をする。相変わらず監視されているようで居心地が悪かったが、慣れれば気にならなかった。目つきの悪い置物だと思うことにした。
 掃除以外にもなにか仕事をさせてくれ、とせがんでもジェラルドは「なにもするな」と言うばかりだ。何度もしつこく御用伺いをしていると終いには「ここの本でも読んでいろ」とあしらわれた。
 エリスは暇を持て余し、執務室の本棚を漁る。どれも難しそうな医学書ばかりだ。

(なるべく薄い本を探そう)

 初心者向けの本はないだろうかと物色する。執務室の壁の半分は本棚だと言っても過言ではない。エリスは部屋の中を右往左往していた。

「……なにをしている?」

 診察の合間に領主の仕事をしに来たのか、ジェラルドは白衣を着て執務室にやって来た。ドレスシャツにクラヴァットを締め、紺色のジレの上に白衣を羽織っている。

「お言いつけどおり本を読もうかと思ったのですがどれも難しくて。一番易しい本はどちらでしょう」
「主人《あるじ》に司書の真似事をさせる気か、きみは」

 そう文句を言いながらもジェラルドはツカツカと歩いて本棚の高いところにある薄い本を手に取った。

「入門書だ。これすら理解できないようなら読書はあきらめて昼寝でもするんだな」

 エリスはあからさまにむうっと頬をふくらませてジェラルドから本を受け取る。

(是が非でも理解してやるんだから。そうよ、医学書を読み込んで知識を増やせば少しはご主人様の役に立てるかも。ぎゃふんと言わせてみせる)

  エリスはジェラルドをジロリと挑発的に睨んだあと立ったまま本を開いた。

(絵が多い。これなら何とかなりそう)

 もともと読書は好きなほうだ。医学書を読むのは初めてだが、文体はさほど難解ではなく要所は図説してある。
 熱心に本を読むエリスを尻目にジェラルドは壁際に置いてあるティーワゴンの前に立ち自ら茶を淹れ始めた。

「――あ、それは私が」
「いい、かまうな。きみには俺好みの茶は淹れられない」
「それは、まあ……。でも教えてくださればきっとできます」
「けっこうだ。それより、もっと集中して読み込め」
「……はい」

 うなるような返事をしてエリスはふたたび本に目を向ける。それからは本当に読書に集中していた。ジェラルドが出て行ったことにも気がつかなかったくらいだ。

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posted by 熊野まゆ at 07:55| 伯爵は肉欲旺盛なお医者さま《完結》

2016年12月18日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第一章03


「――ひどい有り様だ」

 読み始めてどれくらいの時間が経ったのかわからない。陽は傾き、室内が薄暗くなっていることに気がついたのはそうしてジェラルドに声を掛けられてからだった。
 エリスは書棚をひっくり返す勢いで医学書を読み漁っていた。そこここの棚という棚に読んだ本が散乱している状態だった。

「も、申し訳ございません。すぐに片付けます」

 どの本がどこにあったのかはわかる。タイトル順に並んでいるからだ。エリスはそそくさと本を片付けていった。しかし初めにジェラルドが取ってくれた本だけはかなり背伸びをしなければもとの場所に戻すことができなかった。つま先立って右腕を垂直に伸ばし、本を棚へ向かって中指で押す。

「――あ」

 急にあたりが暗くなったように感じたのはすぐ後ろにジェラルドがいるからだ。エリスの腕を覆うようにして本を棚へ押し込んだ。
 礼を述べようとしているときだった。

「きみはチビだな。それとも成長期はこれからか?」
「なっ!」

 彼の目は明らかに胸に向けられている。エリスはふんっ、と鼻息を荒くした。

(ちょっとは優しいところがあるかも、なんて思った私が馬鹿だった!)

 エリスは憤然としたまま「今日はこれで失礼しますっ」とぶっきらぼうに言い捨ててジェラルドの執務室を後にした。


 伯爵邸の廊下を大股で歩く。

(どうせ私の胸は小さいわよ……! でもどうしようもないじゃない、こればっかりは)

 ひとりそのことを嘆き、なかば涙目になりながらエリスは使用人宿舎へ向かっていた。
 廊下の角を曲がったところで、エリスはハッとして端に寄った。来客だ。
 深々と頭を下げて客をやり過ごす。ジェラルドの兄、フィース・アッカーソン、ローゼンラウス侯爵夫妻の姿はいままでにも何度か見かけたことがある。
 フィースはジェラルドと違って快活な印象だ。長らく伯爵家で働くメイドに聞いた話だが、周囲の人間――おもに年老いた親戚がなにかと兄弟を比較するせいでジェラルドは兄と対照的に引きこもりがちで偏屈な性格になっていったのだそうだ。

(ローゼンラウス侯爵夫人様、今日も麗しい)

 彼女はもとは王族だ。立ち居振る舞いは素人目に見ても洗練されている。その美貌を鼻にかけない柔らかな雰囲気はいつ見ても好印象だ。きっと言葉を交わすことは一生涯ないのだろうけれど、声も美しいに違いない。

(胸も、大きかったなぁ……)

 ああ、侯爵夫人と自分を比較するなど愚の骨頂だ。エリスはふるふると首を横に振り、使用人宿舎へとふたたび歩き始めた。

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posted by 熊野まゆ at 07:30| 伯爵は肉欲旺盛なお医者さま《完結》

2016年12月23日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第一章04


 宿舎の自室へ帰り着いたエリスは私服に着替えて出掛けた。行き先は伯爵邸の隣にある図書館だ。
 ジェラルドとその母、クレア・アッカーソン侯爵夫人は二人とも医者でかつ大層な読書家なのだという。そういうわけで伯爵邸に隣接させる形で図書館を建立し、使用人を含め領民に解放している。
 その図書館に足を運ぶのは初めてだ。なんでも、王都にある王立図書館に似せた造りなのだという。医者が建てた図書館となればさぞ医学書が充実していることだろう。
 正門を抜けてアプローチを歩き、ステンドグラスがじつに鮮やかなバラ窓を眺めながら図書館の中へ入る。
 館内は円筒形の吹き抜けになっていた。カーブした壁に本が並べられ、各階へはらせん階段でのぼる造りだ。

「あら、エリスじゃない。珍しいのね」
「リリアナ、お疲れ様」

 図書館のカウンターにいたのは同期の新人メイドであるリリアナだ。この図書館のカウンター業務は伯爵邸の使用人が当番制で担っている。

「……ん?」

 ふとカウンターの隅に目が止まる。そこには羽根がついた熊の銅像が置いてあった。

「この銅像はなに?」
「さあ、わからないわ。ついさっきローゼンラウス侯爵ご夫妻がいらして、ここに置いて欲しいとおっしゃって……。失礼だけど、なんだかヘンテコな銅像よね」

 リリアナは美しい白金の前髪をうっとおしそうにかきあげた。エリスは「うーん」とうなりながら腕を組み銅像を見つめる。

「……ずっと見ていたら、愛らしいような気がしてきた。へんね」
「ええっ、へんよ。どこからどう見てもブサイクじゃない。ところでエリス、なにしに来たの?」
「ああ、そうだった。医学書を探してるの」
「ふうん。……ジェラルド様のお言いつけで?」
「いいえ、違うわ。私の仕事は相変わらず掃除だけ」

 執務室での読書は仕事のうちに入らないだろう。それに、同僚には勤務中に本を読んでいるのだとは何となく言いづらい。

「……そう。医学書の棚は最上階とそれからそのすぐ下の階よ」
「ありがとう、リリアナ」
「ごゆっくりどうぞ」

 エリスは軽快な足取りでらせん階段をのぼった。円周はそれほど長くないので最上階まではすぐだった。

(いい眺め)

 階下を見下ろす。吹き抜けになっているので見通しがよく、カウンターの上に置いてあるあの銅像もここからよく見える。羽根が生えた熊の銅像はすさまじい存在感だ。悪く言えば浮いている。

(さて、どんなものを読もうかしら)

 ひとえに医学書といってもジャンルは様々だ。ふだんは伝記くらいしか読まない。こういう専門書を自分が読む日が来るとは夢にも思っていなかった。異国の偉人の言葉を借りるなら、その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれというわけだ。

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posted by 熊野まゆ at 05:15| 伯爵は肉欲旺盛なお医者さま《完結》

2016年12月24日

伯爵は肉欲旺盛なお医者さま 第一章05


 エリスは手近にあった本を棚から出してパラリとめくって内容を確認した。興味が湧いた本を厳選して10冊ほどをカウンターへ持って行き、リリアナに貸し出しの許可を受けた。
 図書館を出るころには陽はすっかり落ちていた。

(近道をしてみよう)

 伯爵邸内にある使用人宿舎まではいろんなルートでたどり着くことができる。エリスは敷地の見取り図を頭の中に思い浮かべて近道を探る。
 診察室の前を通りかかったときだった。明かりの灯った診察室でジェラルドが自ら掃除をしていた。エリスはとっさに木陰に隠れ、彼の様子をうかがう。

(ご主人様は本当に何でも自分でやってるのね)

 誰にも頼らず自らの手で仕事をこなすというのは立派だとは思うが――。
 エリスはその表情を暗く曇らせ、深いため息をついて静かに歩みを再開した。


 雲間から気まぐれに太陽がのぞくある日、エリスは今日もまたジェラルドの執務室で医学書を読み漁っていた。
 そこへ大げさなため息がどこからともなく聞こえてきた。

「俺がいないときは執務机を使え。ソファとテーブルも好きに使っていい。まったく、見苦しいこと極まりない」

 エリスは立ったまま書棚に本を立てかけてノートにメモを取っていた。

「ええと、だって……ご主人様の椅子やテーブルを使ってよいものかわかりませんでしたので」
「訊けばいいだろう」
「そう……ですね。申し訳ございません」

 じつのところ、ソファを使ってよいかと尋ねても「他人に自分のものを使わせたくない」と断られるだろうと踏んでいたので端《はな》から訊かなかったのだ。
 何でも自分でしなければ気が済まないくせに、自分の物を他人に使われるのは許容できるのか。

(よくわからない人ね)

 エリスは数冊の本をテーブルの上へ運び、それからノートを広げた。
 ジェラルドはというと右肩に左手をあてがって執務机の前の椅子に腰掛けた。書き物をしながらも終始そのような状態だった。

「揉みましょうか、肩」

 見るに見かねて尋ねてみる。

「好きにしろ」

 という返答には思いがけず面食らってしまった。

「それでは……少し失礼しますよ」

 執務机をまわり込んでジェラルドの後ろに立ち、白衣の両肩に手を乗せた。凝っているところを手探りしながら揉み込む。

「……上手いな」

 ぽつりと言われ、反応に困った。素直に「ありがとうございます」と返せばよいのだろうけれど、彼に褒められるのは初めてなので戸惑ってしまう。

「医学書で勉強しましたから。実践できて嬉しいです」
「ふん、俺は知識を立証する実験台というわけか」

 減らず口なのは二人ともだ。エリスはしばし無言でジェラルドの肩を揉んだ。本当にひどく凝っている。

「もっとまわりを……私を信用してください。過労で倒れちゃいますよ」

 何気なく言った。それで彼が変化を見せることなどまったく期待していなかった。

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posted by 熊野まゆ at 05:03| 伯爵は肉欲旺盛なお医者さま《完結》


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