2017年04月08日

秘されし、その甘やかな救済 第一章01


 見上げたヴォールト天井は背丈の何倍先にあるか知れない。遠くに見えるその穹窿には萌黄色の蔓薔薇とともに天の使いたちが描かれている。それは、見る者に神の存在を濃く印象づける――。


 ノマーク神国の中枢、ユマノマク神殿の一角で、巫女見習いのラティーシャ・カトラーは巡礼者に護符を授けていた。

「あなたに神のご加護があらんことを」

 彼女がほほえむと、巡礼者は「ほぅっ」と感嘆した。その美しさにはだれもが息をのむ。
 透けるような白い肌はみずみずしく、腰まである銀色のストレートロングヘアは見るからにサラサラでもつれそうにない。瞳は宝玉の翡翠を思わせる鮮やかな緑だ。
 巫女見習いの彼女は装飾のない質素なクリーム色の長衣を着ている。それでも、いたいけな雰囲気を残しながらも女性らしさを兼ね備えたラティーシャは人目を引いた。神殿の華とまで謳われるほどだ。

「――お疲れ様でした」

 護符の配布を終え、神殿内をくまなく掃除したラティーシャは先輩の巫女たち一人一人に挨拶をして帰路についた。
 彼女は見目こそ華美だが仕事には堅実かつ地道で、同僚や先輩への気遣いも怠らない。常に最善を尽くし、真面目にコツコツと物事をこなしていく。

(ああ……早く一人前になりたいわ)

 そんな彼女の目標は、昇格して巫女になることだ。
 ラティーシャには複数の異母兄妹がいる。兄妹がたくさんいることは嫌ではないが、次から次に女性を連れ込む父親に嫌気がさしてラティーシャは実家を飛び出したのだった。

(巫女になれば、神殿の中に住める。俗世ともさよならよ)

 巫女見習いのラティーシャはいまは神殿からほど近い宿舎に寝泊まりしている。神殿へ通うのが面倒だと思ったことはないが、いままで外を歩くとろくな目にあってこなかったラティーシャには、この通い道は毎日が戦々恐々としている。
 ラティーシャは周囲を警戒しながら夜道を歩いていた。

「………」

 ふと立ち止まる。道端に誰かが倒れている。
 それが女性だったならば、ラティーシャは迷わず駆け寄っただろう。
 だが倒れていたのは男性だった。身なりからしてかなり高位の貴族だ。

(……どうしましょう)

 いや、迷っている余地はないのかもしれない。もし心臓発作等の病気ならば、一刻を争う。男性だからという理由で尻込みしてしまうのはいかがなものか。
 ラティーシャは意を決して男性に近づいた。
 貴族がたった一人で道端に倒れているなんて不審きわまりないが、そうも言っていられない。

「あの……どうなさいました?」

 声を掛けると、金髪の男性がわずかに顔を上げた。

「……気分が、優れなくて……休憩していた」

 ――道の真ん中で、うつ伏せに倒れて休憩していたの?
 唖然とするラティーシャを金髪の男性の碧い瞳がとらえる。すると、彼の目がとたんに見開かれた。ラティーシャは後ずさる。

(このひと……お酒くさいわ)

 なんだ、泥酔しているだけか。

(だけど……)

 このまま放置して馬にでも轢かれてしまったら気の毒だ。後味が悪い。

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posted by 熊野まゆ at 06:34| 秘されし、その甘やかな救済《完結》

2017年04月09日

秘されし、その甘やかな救済 第一章02


 ラティーシャはしばし逡巡したあと、

「お家はどこですか。お送りいたします」

 そう提言すると、男性はすぐ近くを指さした。彼が示した先にあるのは神殿にも負けず劣らずの広大な建物。

(ここ、は……シュバルツ公爵邸だわ)

 かの公爵は神殿に多大な寄付金をもたらしてくれる。シュバルツ公爵には会ったことはないが、もしやこの男が――?
 ラティーシャはおそるおそる尋ねる。

「……もしかして、マティアス・エルフォード、シュバルツ公爵さまでいらっしゃいますか?」

 うつろだった男性の瞳に光が灯る。

「ああ……。俺のこと、覚えていてくれたのか」

 うっとりとした様子の公爵を尻目にラティーシャは首を傾げた。
 どこかで会ったことがあっただろうか。

(護符の配布のときかしら……? でも、公爵さまならわざわざ配布の列に並ばずとも受け取れるはず)

 寄付金と引き換えに護符を渡してあるはずだ。ラティーシャが頭の中に疑問符を浮かべて記憶の糸をたどっていると、公爵――マティアスは口もとを押さえて気持ち悪そうなそぶりをした。そのことに気がついたラティーシャはおろおろとあわてふためく。

「ここは冷えますし、邸の中へお入りになったほうがいいかと」

 道端で嘔吐されては迷惑だ、とは言わずラティーシャはマティアスを邸の中へうながす。

「ああ、そうだな……」

 マティアスは立ち上がったものの、フラフラして足もとがおぼつかない。
 ラティーシャはマティアスが倒れないようやや距離を取って見守る。

「……肩を貸してくれないか?」
「え……と」

 イヤです、とは言えない。しかし男性には極力触れたくない。

「すぐそばでお見守りいたしますので、ご安心ください」

 ラティーシャがぎこちなくほほえんでそう言うと、マティアスはあからさまに不満そうな顔になった。
 微妙な距離を取りながら何とか公爵邸の玄関までたどり着く。
 マティアスは懐から鍵を取り出した。ラティーシャはギョッとして目を向く。

「あの、邸のかたは……いらっしゃらないのですか?」
「気兼ねなく飲み歩きたいから、夜は使用人をすべて家に帰している。朝には出勤してくる」
「えっ」

 誤算だった。邸の中まで連れてさえ行けば誰かしらいるだろうと思っていたのだ。あとは邸の使用人に任せて自分は帰るつもりでいた。

(い、いやだ……早く帰りたい)

 屋内で男性と二人きりなんてとんでもないことだ。落ち着かない。

「あ、あの……私はこれで――」

 マティアスはラティーシャの言葉をさえぎるように「ヴヴ」とうなって玄関扉を開けた。それからおもむろにこちらを見下ろしてきた。こんなに具合の悪そうな俺を放ってきみは帰るのか、とでも言いたげだ。

「……もうしばらく、付き添ってもらえると助かる」
「は……い。ですが、あまりお役に立てないかと思いますのでやはりどなたかお呼びになったほうがよろしいかと――」
「ヴっ!」

 急にマティアスが口もとを押さえた。

「ど、どうなさいましたっ?」
「だめだ……気持ちが悪い。早く部屋へ行かなければ。きみも来てくれ」
「え……えっ!?」

 マティアスの片手が伸びてくる。ラティーシャは反射的に後ろへ飛び退いたが、そこは邸の中だった。マティアスが素早く中へ入り、内側から鍵を掛ける。

「ちょっ、あのっ!」

 なんだ、元気ではないか。それだけしっかりと行動できるのならば付き添いなど必要ない。

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posted by 熊野まゆ at 06:45| 秘されし、その甘やかな救済《完結》

2017年04月14日

秘されし、その甘やかな救済 第一章03



「さあ、俺の部屋はこっちだ」
「やっ、お待ちください。公爵さまはとてもお元気そうに見受けられます。私の介助なんて必要ないですよね」
「元気そうに振舞っているだけで本当はいまにも倒れそうなんだ。さあ、早くこちらへ」

 肩を抱かれそうになり、ラティーシャはザザッと後ずさった。

「……そんなに、俺に触れられるのか嫌か?」
「公爵さまに、というか……男性に触れられるのが、少し」

 本当は『少し』どころではない。異性に触れられるのはとてつもなく嫌だ。

「……そうか。では、これならどうだ?」

 マティアスがラティーシャの袖をつまむ。それは幼な子が母親の袖をつかむような仕草だった。

「えっ……そ、そんな」

 大人が――まして身分のある男性がすることではない。袖をつままれて戸惑うラティーシャをマティアスは自室へ誘う。
 袖の、つままれている部分はわずかだけれども、力強くクイクイと引っ張られては付き従って歩くしかない。

(ああ、どうしてこんなことに……)

 しかしこうなってしまったものは仕方がない。公爵を寝かしつけて早々に立ち去ろう。
 長い長い廊下をひたすら歩く。人の気配はない。いまは本当に使用人がいないようだ。

(……思っていたよりも調度品が少ない)

 絵画や彫刻のたぐいはさほど多くない。夜には使用人を帰してしまうあたり、シュバルツ公爵は倹約家なのかもしれない。

(神殿へたくさん寄付をくださるから……もっとこう、無駄遣いが好きなのかと思ってた)

 寄付金をたんまりともらっておいて失礼な話だが、大多数の貴族はそうだ。売名行為と言ってはさすがに天罰が下るが、実質的にはそういう一面も確かにある。

「――ここだ。入ってくれ」

 袖を引っ張られて到着した公爵の私室はとても簡素だった。無駄なものがない――というか、必要なものしかない。ベッドにソファ、ティーテーブル。家具はそれだけだ。
 マティアスがベッド端に腰掛ける。

「背をさすってもらえないだろうか」

 公爵が視線でうかがってくる。
 男性に触れられるのは嫌だ。だからといって自ら触れることが平気かと聞かれれば、答えは断固として否だ。
 公爵は「うーん」とうなりながら頭をかかえる。何だかわざとらしい。
 ラティーシャはしばしためらったあと、ゆっくりと歩を進めてマティアスのそばに立った。
 おそるおそる片手を伸ばし、彼の背を撫でる。触れるか触れないか、微妙なところだった。

「……それでは、くすぐったいな。もっとこう……しっかりさすってくれ。さあ、俺の隣に腰掛けて」
「なっ……!」

 またしても袖を引っ張られて、なかば強引にベッドに座らされる。

「さあ、続けて」
「………」

 ラティーシャは少しだけ唇を尖らせて、そっと公爵の背に触れる。

(だめ……やっぱり怖い)

 ラティーシャの手は震えていた。

「……きみは兄弟はいるか?」

 唐突に話しかけられた。公爵は前を向いたままだ。ラティーシャは手を止めて答える。

「はい、兄が四人おります」
「へえ、四人も。歳はどれくらい離れている?」
「一番上の兄は27歳ですから……わたしよりも九つ年上です」
「奇遇だな、俺も27だ。それなら話が早い。俺を兄だと思って触れてくれればいい」
「兄……ですか」
「そう。家族だと思って、気軽に」

 ――さっき会ったばかりなのに?
 公爵は兄とは似つかわしくないので、とても家族だとは思えない。

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posted by 熊野まゆ at 08:37| 秘されし、その甘やかな救済《完結》

2017年04月15日

秘されし、その甘やかな救済 第一章04



「……公爵さまは、ご兄弟はいらっしゃるのですか?」
「いない。だからずっと妹が欲しかったんだ」

 碧い瞳がチラリとこちらを見やる。ラティーシャはなぜかどきりとしてしまった。

「こ、公爵さまは酔っておいでですから、あれですけど……よく知りもしない人間を邸に招き入れて介抱させるのは、いささか危険かと存じます」

 妹が欲しかったから、という理由で邸に引き込まれたのはわかったが、それにしてもあまりに短絡的だ。ラティーシャは暗にそれを咎めた。

「……そうだな。よく知りもしない人間ならば、な」

 公爵はどうしてかクスクスと笑っている。

「な、なぜ笑うんですか?」
「なぜだろうな……。きみと話していると、楽しい」

 公爵は体ごとこちらを向いて、顔をのぞき込んでくる。

「――!?」

 いきなり間近に迫られ、ラティーシャは顔を引きつらせた。

「……一緒にベッドで眠ってもらえないか?」
「はぁっ!?」

 ラティーシャは頓狂な声を出して目を見張る。
「寒くて眠れないんだ……」
 マティアスは大仰に両腕をさすっている。

「お言葉ですが、このお部屋の中はとても暖かいです」

 むしろ暑いくらいだ。ところが、マティアスは悩ましげに額を押さえて言う。

「ああ、めまいがしてきた」
「お医者さまを呼ばれたほうがよいかと」
「いやだ。医者は嫌いだ」

 そう言って口を尖らせるさまはまるで子どもだ。駄々をこねる、大きな子ども。
 マティアスがラティーシャに詰め寄る。

「俺と触れ合うのが嫌なら、きみはシーツにくるまって眠るといい」
「そんな……」

 なぜそこまでして公爵とベッドを共にしなければならないのだ。

「私はもう失礼します。公爵さまはすっかりお元気のごようすですから」

 ベッドから立ち上がるラティーシャの長衣の、今度は裾をつかんでマティアスは待ったをかける。

「行かないでくれ……。寂しくて死んでしまいそうだ」

 ――大の男が。27歳にもなる成人男性が。捨てられかけた動物のように潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。

「……公爵さまが眠るまでなら」

 ついに折れたのはラティーシャのほうだ。

「ありがとう!」

 パアッと表情を明るくさせたマティアスはいそいそと上着を脱いでベッドに上がり、ラティーシャに向かって手招きをする。

「さあ、おいで。シーツでくるむとしよう」

 承諾したものの、やはり煮え切らない。マティアスは両手いっぱいにシーツを広げている。

「失礼、します……」

 靴を脱いでベッドに上がり込むなりシーツで体をぐるぐる巻きにされ、身動きが取れなくなった。そうは言っても、力を入れれば抜け出せるていどの拘束だ。
 ラティーシャがベッドに横たわる。その反対側にマティアスの顔があった。こちらに気を遣って、ベッドの端のほうにいるのだと思われる。

「早くお休みになってください」

 マティアスはラティーシャの顔をしげしげと見つめていた。眠りそうな気配が微塵もない。

「うん。きみが目を閉じてくれたら、俺も眠るとしよう」

 しぶしぶラティーシャは目を閉じる。

(寝入ってしまわないようにしなくちゃ……。公爵さまが眠ったら、出て行くんだから)

 意識をしっかり保っていなければ。
 しかし、ついまどろんでしまう。神殿での業務は体力勝負だ。ふだんならばもうとっくに寝入っている時間である。

「……おやすみ、ラティーシャ」

 まどろみの中、名前を呼ばれたような気がした。

(わたし……名乗ったかしら……)

 ラティーシャは肩にかすかな一定のリズムを感じながら、深い眠りに落ちていった。

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posted by 熊野まゆ at 09:01| 秘されし、その甘やかな救済《完結》

2017年04月16日

秘されし、その甘やかな救済 第一章05


 ――暑い。
 ああ、そうだ。シーツにくるまっているからだ。早く目覚めなければ。神殿の朝は早い――。


 パチリと目を開けるとそこは見知らぬ天井だった。
 暑くて寝苦しかったはずなのに、いまは開放感がある。
 隣にだれかの気配を感じて、ゆっくりと横を向く。

「おはよう」

 爽やかな笑みは絶世だ。うまくできすぎた絵画のように造作の美しいシュバルツ公爵の顔がそこにある。

(私……あのまま眠ってしまったんだわ)

 いま何時だろう。早く出仕しなければ。ラティーシャは挨拶も返さずにあわてて身を起こす。
 パサリ、と衣摺れの音がした。それはシーツが体から落ちた音だった。
 下を向く。目に入ってきたのは自身の谷間。

「……寝苦しそうだったから、ゆるめた」

 それはまるで弁解だった。やましいことはしていない、と言いたいのだろうか。それでも、ラティーシャはパニックを起こす。

「ぃっ――やぁあぁぁっ!!」

 絶叫して胸もとを押さえる。
 なにも、胸のすべてを見られたわけではない。谷間のあたりをほんの少しだ。しかし、ウブでしかも男性不信のラティーシャにとっては大変なことなのだ。

「あー、ええと」

 マティアスはおろおろと両手を所在なげに動かした。

「――失礼します」

 ノック音と同時に声が聞こえて、すぐに扉が開いた。部屋の中に入ってきたのは家令だと思われる。銀髪の家令はベッドにいるふたりを見るなり顔をしかめた。

「――っ、濡れ衣だ。まだなにもしていない」
「まだなにも申し上げておりませんが。……なにかするおつもりだったのが見え見えですね。女性の使用人を呼んで参りますので、少々お待ちください」

 きびすを返す家令をラティーシャが引き止める。

「えっ、いえ! 私はもうおいとましますから! ええと……おふたりとも、後ろを向いてくださいますか。服を直します」

 ラティーシャが言うと、マティアスと家令はそれぞれに顔をそむけた。そのあいだにラティーシャは手早く長衣の前を正し、ベッドから抜け出した。

「大声を出して、お騒がせして申し訳ございませんでした。……失礼します」

 取り乱してしまったのが恥ずかしくて、とにかく一刻も早くこの場から立ち去りたかった。それなのに、マティアスに裾を引っ張られて転びそうになる。

「――っ! あのっ、公爵さま!?」

 いまだに頬が赤いラティーシャがマティアスを振り返る。

「待ってくれ。どうやら俺は本格的にきみに惚れてしまったらしい。きみは俺が思い描いていたとおりの女性だ。どうか……俺の妻になって欲しい」

 ラティーシャはポカンと口を開けた。

「い……妹ではなくて?」

 昨晩、彼は妹が欲しいと言っていた。もしかしたら聞き間違いかもしれないと思ってラティーシャは尋ねた。

「妹でなく、妻に。俺の伴侶になって欲しいんだ」

 もともと赤かったラティーシャの頬はいっそう色味を増した。

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posted by 熊野まゆ at 09:29| 秘されし、その甘やかな救済《完結》


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