2017年04月21日

秘されし、その甘やかな救済 第一章06


 大声を出してしまったことの恥ずかしさが抜けきらない状態でいきなりそんなことを言われれば頭の中が沸騰する。公爵は美貌の面を少しも崩さず大真面目なのだ。

(なぜ……? 会ったばかりなのに)

 ラティーシャは混乱して、無意識に首を横に振った。

「わ……私は、巫女になりたいのです。巫女になることが、私の救いなんです。ですから……結婚はしません、だれとも」

 愛なんて気まぐれだ。父のように、公爵だってすぐに飽きてほかの女性を好きになるに違いない――。
 いつの間にか家令の姿が見えなくなっている。
 ラティーシャは部屋を出て行くべく足を動かす。しかし、マティアスは長衣の裾を放してくれない。

「きみこそが俺の救いだ。……倒れていた俺を介抱してくれた」
「それ……は……」

 心配はしたが、行き倒れの人を放っておいたら神殿の外聞が悪くなると思ったからだ。しかしそれを素直に告げるのはどうしてかはばかられた。
 正直に言ってしまえばよかったのだ。頭の中では打算的なことしか考えていないのだ、と。

「……っ、お放しください。急ぎますので」
「ああ……そうそう、神殿にはきみの休暇を申請したから気兼ねなく休んでいい」
「なっ……!?」

 ――私が巫女見習いだということを、公爵は知っている?
 この衣装を見れば一目瞭然だが、それにしても――。

「か、勝手なことをなさらないでください!」

 声を荒げるラティーシャをなだめるようにマティアスは眉尻を下げてほほえむ。

「神殿長が言っていたよ? きみはまったく休もうとしない、と。たまには気分転換をするのも、よりよい仕事をするためには必要だ。働き詰めは心身によくない」

 ラティーシャはあからさまに驚いた顔になった。しだいに眉根が寄っていく。

「神殿長と――私の兄とは親しいごようすで。……私と公爵さまは前にお会いしたことがありましたか?」

 マティアスはほほえむばかりで、ラティーシャの問いかけには答えようとしない。

「ひとまず朝食にしないか。それから、付き添ってもらった礼をしたい」

 マティアスが「ルーサー」と名を呼ぶと、

「――はい」

 いなくなってしまったと思っていた銀髪の家令が再び姿を現した。廊下でこちらのようすをうかがっていたのだろう。

「彼女に、用意していたドレスを」
「かしこまりました」

 ラティーシャは眉をひそめた。用意していたドレス、というのが引っかかる。彼はいつから、ラティーシャを邸に留めておくつもりでいたのだろう。

(いま何時なのかしら……)

 窓から射す光から察するに陽はだいぶん高い。マティアスは早朝に神殿長へラティーシャの休暇を申し入れ、ドレスを用意したのだろう。
 女性の使用人が淡いグリーンのドレスを持って部屋にやってきた。

「俺は先に食堂へ行っているから」

 昨日とは異なる上着を手早く羽織り、マティアスが立ち去る。

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2017年04月22日

秘されし、その甘やかな救済 第一章07



「あの、着替えはけっこうです。私はすぐにおいとまいたしますので」

 ラティーシャが女性の使用人に向かってそう言うと、

「まあ、それは困りました……。私はご主人さまからラティーシャさまのお召し替えを言いつかっておりますので」

 女性は困ったような笑みを浮かべるのだ。ラティーシャはしぶしぶドレスへと着替える。
 神殿へ休暇を申請されてしまったラティーシャは戸惑うばかりだった。

(なにをして過ごそう?)

 ラティーシャに趣味らしきものはひとつもない。されるがまま、女性の使用人にドレスを着せられながらラティーシャは考えあぐねた。


「今日は俺も休みをとっているんだ。一緒に街へ出掛けないか?」

 食堂で食事を終えるなりマティアスが言った。

「いえ……ご遠慮いたします。お食事、とても美味しかったです。ありがとうございました」

 ラティーシャは席を立ち、マティアスに深々と頭を下げる。

「それでは……」

 ラティーシャが帰るそぶりを見せるなりマティアスも椅子から立ち上がった。

「待て、ラティーシャ。礼をさせて欲しいと言っただろう」
「とても豪華なお食事でした。お礼はじゅうぶんいただきました。このドレスは洗って後日お返しします」

 よく知らない男性とふたりきりの食事は大いに緊張した。彼が使用人を下げてしまったせいでよけいにそうだった。ラティーシャはそそくさと扉へ向かう。
 しかしマティアスのほうが早かった。マティアスは扉の前に立ち塞がって通せんぼをしている。

「……公爵さま」

 不躾だとは思うが彼をにらみ上げる。そこをどいて、と目で訴えかけてみる。

「街へ行こう。きみにドレスを買いたいんだ」

 ラティーシャはふるふると首を横に振る。

「そんな必要はありません。それに、街は……嫌です。……怖い」

 ――街は怖い。
 過去、何度も誘拐されそうになったことがあるし、なにかと声を掛けられる。

「俺のそばにいれば平気だ」

 マティアスが悠然とほほえむ。

(……公爵さまのことも、いまだに怖いんだけれど)

 ラティーシャは困り顔で彼を見つめる。

「……そんなに見つめられると、照れるな」

 マティアスはポッと頬を赤くさせた。ラティーシャを帰してくれる気配は微塵もない。

「私、本当にもう……」
「――ラティーシャ」

 マティアスがドレスの袖をつまんで返事をうながしてくる。

「……わかりました」

 ラティーシャがしぶしぶそうつぶやくと、マティアスはニイッと満足げな笑みになった。

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2017年04月23日

秘されし、その甘やかな救済 第一章08


 街の大通りは公爵邸からすぐのところだ。ラティーシャはマティアスの隣を歩きながらビクビクとまわりをうかがっていた。
 街行く人々に注目されているのは自意識過剰なわけではないと思う。
 しかしいつもと違って、みな遠巻きだ。ふだんならば街へ使いに出るとすぐに「ご飯をおごるよ」だとか「いい店を知っているんだ」と声を掛けられるのだが、公爵が隣にいるおかげなのか、そうして話しかけられることはない。
 初めはドキドキと高鳴りっぱなしだったラティーシャの心臓が、しだいに落ち着いていく。
 それを悟ったらしいマティアスが得意げに話しかけてくる。

「俺の隣は快適だろう。妻になってくれるね?」
「……なりません。私は巫女になって神のみに身を捧げるのです」
「神、ねぇ……」

 マティアスが立ち止まる。ラティーシャもまた歩みを止めた。

「……信じていらっしゃらないんですか? 神様を」

 マティアスは微笑し、即答する。

「信じているよ。……いや、知っているというべきか。……まあ、きみもいずれわかる。巫女になれば、ね」

 やけに含みのある言い方だ。ラティーシャは彼を見上げて首を傾げる。

「ねえ、ラティーシャ。巫女は結婚してはいけないという規則はないよ」
「……規則がどうであれ、私はだれとも結婚しません」

 ――裏切られて、母のように傷つきたくない。
 うつむくラティーシャを見つめ、マティアスは眉尻を下げて困ったようにほほえんだ。


 それからふたりは洋装店を訪ねた。ピンク色を基調にした店内は随所に生花が活けてあり、見るからに女性物を扱う専門店だ。
 ラティーシャは「ほぅっ」と感嘆する。あちらこちらと忙しなく視線を走らせて店内を見まわす。
 ふと、公爵と目が合った。こうして店内を見まわすのは不躾なことかもしれないと思い至ってラティーシャは頬を赤らめる。

「こういう店は初めて?」
「はい……。すみません、きょろきょろしてしまって」
「かまわないよ。きみが楽しんでくれるのがいちばんだ」

 公爵がほほえむと、どうしてかそれでいいような気がしてくる。そういう安心感を、彼には無条件で与えられてしまう。

「ラティーシャ、好きなものを選んでくれ」
「いえ……私にドレスは必要ありません。公爵さまはお礼がしたいとおっしゃいましたが、私は大したことはなにもしていません。ですからどうか、お気遣いなく」

 ラティーシャがほほえむ。自然とこぼれた笑みだ。

「きれいなドレスや可愛らしい小物は、見ているだけでも楽しいですから。もう本当にじゅうぶんです」

 ほがらかに笑うラティーシャとは対照的にマティアスは浮かない顔だ。

「きみは欲がないな。俺とは大違いだ」

 苦笑いするマティアスの真意を、ラティーシャはあとから知ることになる。

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2017年04月28日

秘されし、その甘やかな救済 第一章09


 ドレスが要らぬのならせめて食事だけでもと言われ、ふだんは絶対に立ち入らないような五つ星のレストランで食事をご馳走になり、ラティーシャは帰路に着いた。マティアスは宿舎の前まで送ってくれた。

「今日は本当にありがとうございました。……公爵さまのおっしゃる通り、たまには休息も必要なのだとわかりました」

 一日を振り返ってみて思う。働きづめで張り詰めた精神状態は心に余裕を生まない。巫女見習いの業務だって最初は楽しくやっていた。しかし最近は機械的に、義務的にこなしていたように思う。それでは自分自身が楽しくないし、まわりだって息がつまるに違いない――。
 マティアスの顔を夕焼けが煌びやかに照らし、艶やかな髪の毛をそよ風がサラサラと揺らす。

「それはよかった。……でも、初めにそれを教えてくれたのはきみなんだけどね」
「えっ?」
「いや……気にしなくていい。それより――」

 碧い瞳がためらいを見せてわずかに細くなる。

「少しだけ、触れてもいいか?」

 ラティーシャはスッと短く息を吸った。昨日までの自分ならばすぐに「いやです」と答えただろう。心に余裕があるいまは「否」とは即答しない。

「は……い」

 ――いま、私は何と答えた?
 自分自身の口から出た言葉に驚きつつ、事実、彼に触れられてもかまわないと思った。
 しかしよく考えてみれば、あまりにも浅はかな返答だ。いったいどこに触れられるのか、確かめもせずに返事をするなんて。
 承諾したものの戸惑いを見せるラティーシャの頭をマティアスはそっと撫でた。

(ああ、なんだ……頭なら、平気だわ)

 肌に触れられているわけではないし、彼の手つきは極めて優しい。恐怖心はない。
 ところが、彼の手はしだいに下降してきた。ツツ、と頬を撫でられる。マティアスの指先は温かい。

「……平気か?」

 こくっ、とうなずく。なぜか声が出せない。自分自身の脈の音がうるさい。
 ラティーシャが怯えていないと見ると、マティアスはホッとしたようすで嘆息した。
 それから、ゆっくりとラティーシャの透けるように白い肌を撫でたどる。

「俺はきみと違って強欲だ。見ているだけでは足りない――」

 頬を撫でていた温かな指先がさらに下へ向かう。みずみずしい唇をぐるりとたどる。

「自分のものにしたくなる」
「……!」

 彼がなにを言わんとしているのか、何となくわかってしまって戸惑う。
 なにか言葉を返さねばと思うが、彼の指先は相変わらず唇を這いまわっているから話ができない。

「……すまない。俺はきみを困らせてばかりだな」

 マティアスはサッと手を引っ込めて、

「それではまた」

 と言って去っていく。
 ラティーシャは彼が見えなくなるまでその場でマティアスを見送った。
 頭、頬、唇――と、彼が触れた順に自分でもさわってみる。

(……どきどき、しない)

 心は凪いだように穏やかで、空虚さすら漂わせていた。

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2017年04月29日

秘されし、その甘やかな救済 第二章01


 マティアスとともに休日を過ごした翌日はいつも以上に業務に励むことができた。ラティーシャはほがらかにほほえみながら巡礼者に護符を配布する。

「――ラティーシャ」

 しかし、その男に名前を呼ばれたとたんラティーシャの気分は一気に暗くなった。

「昨日は急に休むから、なにかあったのかと心配したよ。無事でよかった」

 護符の配布列からは外れてラティーシャの傍にたたずむその男の名はレイヴン。毎日のようにやって来てはラティーシャにしつこく話しかけている。

「何度も申し上げておりますが、ご用がないのならお引き取りください」

 配布の合間にそうして咎めるのだが、レイヴンは聞く耳をもたない。

「僕とデートするって約束してくれたら、帰るよ。ねえ、いい店を知っているんだ。一緒に行こう?」
「ご遠慮いたします」

 もう何度この会話をしたことか。ラティーシャが何度断っても、レイヴンは懲りずにやって来るのだ。

「ところで、昨日きみがシュバルツ公爵と街を歩いていたってうわさを聞いたんだけど、本当かい?」

 ラティーシャの心臓がドクンと跳ねる。シュバルツ公爵の名を出されたからか、あるいはレイヴンがそのことを知っていたからか。両方かもしれない。

「……お引き取りください。私は奉仕中なので、私的なことはお話しできません」
「じゃあ仕事が終わってからならいいんだね? 待っているよ、きみの仕事が終わるのを」

 ラティーシャはそれ以上はなにも言わず、横目でジロリとレイヴンをにらむ。いっぽうの彼は笑みを深めるばかりだった。
 レイヴンは男爵令息だ。働きもせず遊び歩いていることがまず気に食わない上に、とにかくしつこい。
 その日、ラティーシャが神殿での奉仕を終えるとレイヴンは宣言どおり巫女見習いが出入りをする門に待ち構えていた。
 ラティーシャは顔をしかめ、彼には取り合わず宿舎へ急ぐ。

「ねえ、待ってよラティーシャ」

 ラティーシャは小走りしていた。もっと全速力で逃げたほうがいいのかもしれない。何だか嫌な予感がする。
 ラティーシャが走り出そうとすると、レイヴンは彼女の肩をつかんで引き止めた。ラティーシャは瞬時に総毛立つ。

「ラティーシャ、どうしてそんなに嫌がるんだ。自分で言うのもあれだけど、僕は自分自身を醜い顔だとは思っていない。お金だってたくさんある。きっときみを幸せにできる」
「……そういうことではありません」

 ハッキリと言ってもいいのだろうか。顔や財力など関係ない。親の金で遊び歩くその性根と、それを恥ずかしげもなくやってのけてしつこく迫ってくるところが大嫌いなのだと。
 しかしラティーシャはそれをハッキリと伝えることができる性格の持ち主ではない。こちらの意思が明確に伝わる別の言葉を探していると、

「……公爵とはデートするのに、僕とはできないって言うのかい?」

 レイヴンはラティーシャの両肩をつかんだまま言う。

「こんなに想っているのに、どうしてなんだ……」

 彼が顔を寄せてくる。
 ――いやだ、怖い!
 早くレイヴンの手を振り払って逃げなければ。そう思うのに、体は恐怖心で石化してしまった。
 レイヴンが近づいてくる。恐怖と焦りで視界がぐるぐるとまわり始める。

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