2017年12月24日

スパイラル・ストラップ01


 除夜の鐘が響く年の瀬、齋江 優香《さいごう ゆうか》は会社の同僚とともに初詣に出かけていた。こうして初詣に行くメンバーが年々減っていくのは、皆もういい年齢だからだ。
 社会人九年目、いよいよがけっぷちである。
 仕事に生きると決めた同期入社の友人はむしろ潔い。仕事は好きだ。思い入れだってある。しかし、できることなら結婚もしたい。

(今年こそ結婚できますように!)

 優香は神前で手を合わせ、念じるように祈願した。願う時間がずいぶんと長くなってしまったような気がするが、そこは気にしない。
 意気揚々ときびすを返して、神社の階段を下りたときだった。時間を確認しようと、コートのポケットを漁ると、寒さで手がかじかんでいたせいかスマートフォンを取りこぼして地面に落としてしまった。

「あっ……」

 あわててしゃがみ込み、スマートフォンを拾おうとするものの、境内は人でごった返している。なかなか電話を手に取ることができない。

(あと、もう少し……)

 スマートフォンに触れたのと、バキッという音が響いたのはほとんど同時だった。

「あ゛っ……!!」

 だれかの足に踏まれたスマートフォンは画面が割れ、見るも無残な姿になってしまった。

「申し訳ございません」

 愕然とする優香に、目線を合わせてしゃがみ込んだのはスマートフォンを踏んづけた男性だと思われる。優香は力なく「いえ……」と言いながら彼のほうを見る。思いのほかすぐ近くに男性の顔があって、優香は息が止まりそうになった。
 つやのある黒髪、大きな目。目鼻立ちは一見しただけで整っているのがわかる。

(こんなイケメンに踏まれたのなら私のスマホも本望だわ……)

 ――って、いやいや。
 男性の見目があまりにも麗しく、つい惚けてしまっていた。

「弁償します」

 無残な姿のスマートフォンを手に取り、男性はその傷み具合を確認したあとでポケットから長財布を取り出した。

「いえ、うっかり落とした私がいけないので……。電話会社の保障にも入ってますから、平気です」

 優香は彼の手から壊れたスマートフォンを受け取り、苦笑いする。

「そうですか……? 本当に申し訳ございませんでした」

 男性は眉尻を下げ、会釈をして去って行く。優香はのろのろと立ち上がる。まわりを見れば、同僚の姿がないではないか。
 ――新年早々スマホは壊れるし、同僚ともはぐれてしまうし。

(でも、かっこよかったなぁ……)

 電話を踏んづけられたとはいえ、こんなことでもなければあんなにも見目のよい男性と話をする機会なんてないだろう。
 優香は手もとの電話を見る。ぐちゃぐちゃになった画面に映った自分の顔は、それほど悲しそうではなかった。

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posted by 熊野まゆ at 07:50| スパイラル・ストラップ《完結》

2017年12月30日

スパイラル・ストラップ02


 もう、再会することはないだろうと思っていた。
 決してよい始まりだったとは言えないが、こうして彼の姿を目にしているいま、これを運命だと感じずにはいられない。

「先日は本当に申し訳ございませんでした。ええと……齋江さん」

 男性は優香の首から下がっているネームプレートを見ながら申し訳なさそうに言った。

「いっ、いえ、とんでもございません」

 優香はあわてて椅子から立ち上がり、男性――神澤 悠人《かんざわ はると》と向かい合った。

(まさか同じ会社だったなんて……!)

 本日付けでこの部署に主任として異動してきた彼は気遣わしげに「電話、どうなりました?」と訊いてくる。優香はポケットから真新しいスマートフォンを取り出して彼に見せた。また落として壊れてはたまらないから、命綱さながらスパイラルストラップをつけている。

「あ、このとおり……新品になりましたので、かえってよかったです」
「そうですか」

 安心したように彼が笑う。優香もつられて顔をほころばせる。

「でも正直、電話を踏むってことめったにないから何だか爽快だったんですよね」

 あのバキッていう音が特に、とほほえんだまま付け加えられ、優香はしばし固まる。

(え……えっ!?)

 ――いま彼は何と言った?

 頭のなかを、「爽快だった」という彼の低音ボイスが駆けまわる。どれだけいい声でそう言われようとも、踏まれて壊れたのは紛れもなく私のスマートフォンだ。
「これからどうぞよろしくお願いします、齋江さん」
 不敵に目を細める、神澤は自分のデスクへ帰っていく。優香は小さな声で「よろしくお願いします」と返して席についた。

(な、何だか悪寒が……)

 オフィスは暖房がよくきいているというのにぞくぞくする。彼の笑みが頭から離れない。それは、恋い焦がれているのだとかそういうたぐいのものではない。もっとべつの、嫌な予感である。
 そしてその嫌な予感は、見事的中することになる。

「齋江さん、これよろしくね」
「ああ、ついでにこれも」
「これも、頼んだよ」

 爽やかな笑顔で神澤は次々と仕事を振ってくる。どう考えても、ほかの社員よりも割り振られている量が多い。
 そのせいで優香は連日、残業を強いられている。

(あの鬼畜ドS上司いぃー!)

 深夜のオフィス、使い込んだノートパソコンの前で優香は叫んだ。ほかにもまだ人がいるので、心の中でだけだ。ひたすら指を動かしながら、優香は彼のことを考える。

(それにしても、主任――他人のスマホを踏んで爽快だったなんて、ホントどういう神経してるの!?)

 爽やかな見た目とは裏腹に、きっと性根は鬼畜なのだろう。それが仕事にも表れている。

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posted by 熊野まゆ at 08:25| スパイラル・ストラップ《完結》

2017年12月31日

スパイラル・ストラップ03


 優香はひとり「うん、うん」とうなずいてノートパソコンのキーボードを叩く。それからしばらくは集中して作業していた。だから、見た目は爽やか、中身は鬼畜な上司がすぐそばに立っていること、それからほかにはだれもいなくなっていることにはまったく気がついていなかった。

「――お疲れさま」

 頬に冷たいものを感じて、優香は両肩を跳ねさせる。思いがけずタイプミスしてしまった。
 目の前に差し出されたのはよく冷えた栄養ドリンクだった。

「あ……主任。お疲れ様です」

 クマ印の栄養ドリンクを受け取りながら優香は彼の方を向く。神澤は優香のとなりの椅子に腰を下ろした。コンビニの袋をカサカサと漁って、取り出したのは肉まんだ。

「これ、食べる?」
「いただきます」

 もらえるものは遠慮なくいただく。見たところ肉まんは彼のぶんもある。手渡された真っ白な肉まんはほどよく温かかった。

「悪いね、齋江さん。連日残業させちゃって」

 神澤と並んで肉まんを頬張りながら、いつの間にかふたりきりになっていることに優香はようやく気がついた。

「この部署には来たばかりだから……知らない人には仕事を頼みづらくて」
「えー、主任って遠慮するタイプだったんですか?」

 この数週間で彼にはかなり軽口を叩けるようになっていた。聞けば、彼はじつは同い年だったのだ。
 神澤は笑いながら「そうだよ」と返す。

「でも俺の見込みどおり、きみは仕事がよくできる。失敗から学ぶ力もある。電話のストラップ、いいと思うよ。見た目はアレだけど」
「もう……主任は一言、多いんですよ」

 だが褒められて悪い気はしない。優香は肉まんをぺろりと平らげ、グビッと栄養ドリンクを飲み干してからふたたび作業を再開した。


 神澤と協力して一大プロジェクトを終えた優香は彼に誘われて居酒屋にいた。
 ふだんの飲み会では行かないような、落ち着いた雰囲気の座敷で、しかも個室だ。

「た、高そうなところですね」

 床の間には達筆な字でなにか書かれている掛け軸と、花と鳥が描かれた小ぶりの壷が置いてある。麗しい神澤の背景としては申し分ないが、高級感にあふれていて気後れする。

「心配しなくていいよ。俺が全部出すから」
「それはどうも、ありがとうございます」

 優香はあっけらかんとしてそう言って、お品書きに目を通す。

「齋江さんさぁ……俺に以前、遠慮するタイプじゃないって言ってたけど、人のこと言えないよね」
「私、遠慮するタイプなんですとか言いましたっけ? あ、とりあえず生、注文していいですか?」


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posted by 熊野まゆ at 08:33| スパイラル・ストラップ《完結》

2018年01月06日

スパイラル・ストラップ04



「……どうぞどうぞ。よく頑張ってくれたからね。好きなだけ飲むといい」

 神澤はあきらめたようにそう言って、手もとの呼び鈴を鳴らした。チリン、という音が響くと、すぐに着物姿の店員がやってきた。
 それからふたりは浴びるように酒を飲んだ。酒の肴が美味しかったせいもある。
 優香に至っては酔いつぶれ、座椅子の背に体をあずけて舟をこぐ始末だ。

「齋江さん、帰るよ。自分の家はちゃんとわかる?」

 カクン、カクンと頭を揺らす優香のかたわらで神澤は彼女の肩をそっとつかんで揺らす。

「むぅ……わかりませんぅ……」

 そのあとも神澤は何度も優香の名前を呼んで体を揺らした。しかし優香は「んん」と言うばかりでうつろだ。

「……じゃあ、俺の家に連れて帰っちゃうよ?」
「はひ……」

 それから、どうやって居酒屋を出たのかまったく覚えていない。酔いがさめたころには、神澤の家にいた。
 どういうわけか、なにも着ていない。言われるままシャワーを浴びて、バスタオルを体に巻きつけただけの状態で彼の寝室のベッドに腰掛けている。

(あれっ? ええと、これは……)

 寝室には自分しかいない。神澤の姿はない。そういえば、シャワーを浴びてくると言っていたような気がする。
 寝室の扉が静かに開いた。現れたのは、腰にバスタオルを巻いただけの神澤。
 優香は自分の頬に急激に熱が集まるのを感じた。

(休日はジムに行ってるって前に言ってたっけ……)

 神澤の、鍛え上げられた上半身から目が離せない。釘付けになる。

「寝てるかと思った。具合はどう?」

 神澤は優香のすぐそばに腰を下ろした。顔色をうかがうように顔をのぞき込まれ、優香はギクリとして視線を逸らす。

「へ、平気です」

 彼が入浴して間もないからか、熱気が伝わってくるような気がした。いや、彼のことを意識しすぎて自分がのぼせているだけかもしれない。

「じゃ、縛っていいかな」

 優香は何度もまばたきをした。
 彼の発言の意味を理解するまでに時間がかかる。縛るものといえば、リサイクルに出すダンボールだとか雑誌の束だとか。そういったものを連想したのだが、彼が言っているのは別のものだろう。

「ええと……なにを縛るんでしょうか」
「齋江さんの手首だよ」

 いったいどこから取り出したのか、神澤はすでに細長い紐を持っていた。梱包用の紐というわけではなく、着物を着るときに使うような平らな布紐だ。

「どうしてそんな話になっているんでしょう……?」

 顔を引きつらせる優香に向かって神澤は平然と言ってのける。

「きみ、シャワーを浴びる前は『いいです縛ってくださいー』って言ってたよ。覚えてない?」
「ま、まったく記憶にありません!」
「記憶になくてもきみがそう言ったのには違いないから」

 トンッと肩を押されれば体はたやすく傾いて、ドサリと音を立ててベッドの上に仰向けになる。

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posted by 熊野まゆ at 06:38| スパイラル・ストラップ《完結》

2018年01月07日

スパイラル・ストラップ05


 視界は神澤で埋め尽くされている。なにがどうしてこんなことになっているのだろう。
 「家に連れて帰るよ」と言われたことは何となく覚えている。そのときじつは淡く期待した。彼となにかあるのではないか、と。
 期待はしたが、縛られることを望んでいたわけではない。

(私を縛って、どうするつもりなんだろう……?)

 彼が筋金入りのサディストなのはすでに知っている。だからこそ、空恐ろしくなる。
 記憶にないこととはいえ縛られることに同意してしまった以上、従わないわけにはいかない。
 優香が大人しくなると、神澤は彼女の両手を頭の上でひとまとめにした。平たい布紐を手首に巻きつけて優香の自由を奪う。
 紐を巻きつけ終わると、神澤は嬉しそうに口角上げた。それから、緩慢な手つきで優香の体を覆うバスタオルの端をつまむ。

「あ……で、電気……消してもらえますか」

 自分の体に絶対の自信があるというわけではないから、明るいところでは見られたくない。すると神澤は「ああ」と言っていったんベッドからおりて、シーリングライトのリモコンを手に取った。
 神澤は天井のライトに向けてリモコンのボタンを何回か押した。

「……あ、あのっ?」

 どう考えても、さっきよりも明るくなっている。

「明るさは五段階調整できるんだ。いちばん明るくしておいた」
「え――えぇっ!?」

 彼は聞き間違えたのかと思った。いや、「電気を消して」という言葉をどうやって聞き間違えるのだ。そのほうが難しいに決まっている。
 よけいに明るくなった寝室で、神澤はあらためて優香に馬乗りになる。
 優香の体のバスタオルをつかみなおし、クッと引っ張って彼女の胸をあらわにする。

「ゃっ……!」

 つい両手に力が入るものの、手首は紐でぐるぐる巻きにされているし、ご丁寧にベッドの柵に紐の端をくくりつけてあるので、柵がわずかばかりきしむていどで両手は少しも動かせない。胸もとは隠したくても隠せず、彼が明るい照明の下でまじまじとそこを見るのをどうすることもできないのだ。
 優香の頬が瞬く間に羞恥の色へと様変わりする。

「……恥ずかしい? 全身、真っ赤になった」

 指摘されるとよけいに羞恥心を煽られる。優香は下唇を噛んでうつむく。しかしそうして目に入るのは自分自身のさらけ出された乳房だ。もはや目のやりどころがない。
 もう、目は閉じてしまうほうがまだいいかもしれないと思ったそのとき、神澤が今度は幅の広い布紐を手に持っていることに気がついた。

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posted by 熊野まゆ at 06:53| スパイラル・ストラップ《完結》


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