2018年02月04日

甘い香りと蜜の味02



「ねえ、何の話?」

 拓真は美樹のとなりの椅子に、背もたれのほうを向いて腰を下ろし、興味津々といったようすで訊いてきた。

「う……。お、大人の話」
「はぁ?」

 拓真にはけげんな顔をされたが、それ以上は追求されなかった。

「そうそう。紗耶香さん、来月結婚するんだってさ。それで、遠くに引っ越すって。今日もさっさと帰っちゃったのは、引っ越しの準備とかあるからじゃないかな」
「えっ、そうなの? じゃあこの店はどうなるの」
「どうなる、って……俺がいるし」
「でも拓真は学校があるから、一日中は店番できないじゃない」
「んー、そうなんだよね。講義がないときは店に出るつもりだけど……ずっと、ってわけにはいかないし」

 美樹と拓真はふたりして「うーん」と頭を抱えた。
 腕を組んでうなっていると、店の奥からコックコートを着た男性が出てくるのが見えた。美樹の胸がトクッと鳴る。

「美樹ちゃん、いらっしゃい」
「あ、こ、こんにちは。お邪魔してます」

 美樹がペコッと頭を下げると、彼はコック帽を脱いでほがらかに笑った。その笑顔を見るだけで歓迎されている心地になる。
 廣瀬 拓人《ひろせ たくと》、二十八歳。真っ白なコックコートにアクセントとして通っている縦の黒いラインと、そこから続く黒いエプロンは彼にとてもよく似合っている。
 拓人は五歳年上の幼なじみだ。一年ほど前、他所《よそ》でのパティシエ修行を終えてこの店に戻ってきた。跡取り息子というわけである。
 彼らの両親は拓人が家に戻ってくるなり温泉地に家を建てて、早々にご隠居生活を送っている。

「……美樹ちゃん、なにかあった?」

 拓人はテーブルの上にずらりと並んだスイーツを見て言った。

「えっ? あ、ええと……」

 困ったような笑顔になったのは美樹と拓人、ふたりともだ。
 拓人は美樹の向かいの椅子に座りながら言葉を継ぐ。

「だって美樹ちゃん、なにかあるとそうやって甘いものをどっさり買って食べるでしょ」

 彼の薄茶色の瞳がすうっと細くなる。なにもかも見透かされているような心地になってしまう。彼の言うとおりだ。一番最近のどか食いは、就職活動中に五社連続で面接に落ちたときだ。

「はい――じつは、さっき会社を辞めてきました」

 「えっ」と声を上げて驚いたのは拓真だ。

「就職したばっかなのに?」
「う……」
「……働いていればいろいろあるよね」

 拓真が責めるような口調だったからか、拓人は美樹を擁護したようだった。

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posted by 熊野まゆ at 09:12| 甘い香りと蜜の味《連載中》

2018年02月03日

甘い香りと蜜の味01


 自宅を通り過ぎ、そのとなりの建物へと一直線に向かう。
 白い壁に白い扉はいつ見ても清潔感がある。そこに這う緑の蔦《つた》はいつも生き生きとしていて、眺めるだけでも癒やされる。
 天井まで届きそうな大きな窓から見るかぎり、なかに客はいない。もう店じまいの時間だからだろう。

「――これと……あ、これも。そっちのもください」

 閉店間際のスイーツショップで、三枝 美樹《さえぐさ みき》は店の菓子をすべて買い占める勢いでショーケースを指差した。

「あらあら。スイーツパーティーでもするの?」

 顔見知りの女性店員――南 紗耶香《みなみ さやか》にそう尋ねられた美樹は、ぶんぶんと首を横に振って彼女の言葉を否定する。

「いいえ、ぜんぶ私が食べるんです。イートインで食べて行ってもいいですか?」
「もちろん。じゃあ、たくさん買ってくれたお礼にとびっきりのコーヒーを淹れてあげる」

 パチッと片目をつぶる紗耶香に「ありがとうございます」とお礼を言って、美樹は皿にあふれんばかりに載せられたスイーツを受け取った。
 アンティーク調の茶色い椅子とテーブルが設えらえたイートインスペースに向かっていると、

「そんなに食べたら太るよー?」

 店の奥から現れたのは三つ年下の幼なじみ、廣瀬 拓真《ひろせ たくま》だ。
 白いワイシャツに黒いベストと、くるぶしのあたりまであるエプロンを着た彼の姿を初めて目にしたときは、腹の底から笑いが込み上げた。
 彼は顔立ちがいいのでなにを着ても似合うのだが、幼いころから彼のことを知っている身としては、やんちゃないたずら坊主がいやいや、家業の制服を着ているのがわかって、何だか面白かったのだ。

「いいの、そういう気分なの!」

 美樹は「ふんっ」と鼻息を荒くして、イチゴのショートケーキ、ザッハトルテ、モンブラン――と、順番にフォークで切り取っては忙しなく口へ運んだ。
 「やれやれ」といったふうに拓真はため息をつき、店の玄関へ向かい、扉に掛かっていた札を裏返して『close』にした。それから、大きな窓ガラスのロールカーテンを引き下ろす。

「はい、美樹ちゃん」
「あっ、ありがとうございます! 紗耶香さん」

 紗耶香は美樹の前にコーヒーを差し出したあと、申し訳なさそうな顔になった。

「ごめんなさい、私はもう帰るわね。……美樹ちゃん、今度お話を聞かせて?」
「は、はい。お疲れ様でした」

 困ったように笑って、店の奥へと消える紗耶香を、美樹は淹れたてのコーヒーをすすりながら見送る。

(さすが、紗耶香さんは敏いなぁ……)

 年齢は二歳ほどしか違わないと思うが、彼女のほうがずいぶんと落ち着いているような気がする。

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posted by 熊野まゆ at 06:35| 甘い香りと蜜の味《連載中》

2018年01月29日

スパイラル・ストラップ12【完】



「神澤さんが仕事を振ってこなかったら、時間あります」

 そうでなければいつもどおり残業だろう。

「うーん……仕事は、今日もたくさんきみに振る予定だ」

 神澤は優香の頬に手を添えてからほんの少しだけ首を傾げた。

「少しでもいい。うちに寄ってもらいたい」

 どきっと胸が高鳴る。なぜそうなったのか、説明はできない。

「……なぜ、ですか?」

 どうしてか彼と目を合わせていられなくなって、優香は倉庫の隅に視線を投げる。

「きみと話がしたいから」

 神澤のほうは、優香から少しも目を逸らさない。

「わ、私も……あります。お話ししたいことが」

 ずっと視線を逸らしているのも失礼だと思い、ゆっくりと彼の顔を見る。

「うん……じゃあ、また夜に」

 そう言った神澤は、安心したような穏やかな顔をしていた。


 勤務を終えた優香は神澤が運転する車で彼の家へ行った。
 リビングのソファに腰を落ち着けると、彼はなにやらてきぱきと準備を始めた。

「――はい。どうぞ」

 優香は「ありがとうございます」と言いながらティーカップを受け取る。

「いい香り……」

 カップの中身はハーブティーのようだった。香り立つ湯気を吸い込んだあとで、口をつける。まろやかで、身も心も落ち着く味だった。
 ハーブティーをすべて飲み干した優香はゆっくりとティーカップをローテーブルの上に置いた。それから、大きく息を吸い込む。

「わ、私……もう崖っぷちなんです」

 神澤はとなりに座っているものの、先ほどからなにもしゃべらないので、いま話してしまおうと思った。

「今年は本腰を入れて結婚相手を探すつもりなんですっ」

 ――だから、その気がないのなら家に招いたりなんかしないで。
 そこまでは口にできなかったが、神澤には伝わったと思う。
 神澤が深呼吸をする。そんな彼を、優香は横目で見る。

「俺だってもういい歳だ。本気じゃなかったらあんなことしない」

 彼が体ごとこちらを向く。

「いや、その前にちゃんと言わなかった俺が悪いのには違いないんだけど」

 ぎゅっ、と手を握られれば、優香も彼のほうを向かずにはいられない。

「俺と、結婚を前提に付き合ってください」

 耳を疑う、とまではいかなかったのは、心のどこかでその言葉を期待していたからだ。
 優香は一回だけ、こくりとうなずく。すると神澤は破顔した。

「お互いのこと、もっと知りたい」

 その言葉とともに抱き締められる。少し苦しいくらいだ。
 それから神澤はぽつりと言った。

「酒の勢いで先に手を出してしまったけど、きみのことちゃんとつなぎ止めておかないとどっか行っちゃいそうだなと思った」

 彼の唇がちゅっ、と首すじに押し付けられる。

「きみのストラップと同じだよ」

 彼の腕に、いっそう力がこもった。

FIN.

お読みいただきありがとうございました!

熊野まゆ

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posted by 熊野まゆ at 09:22| スパイラル・ストラップ《完結》

2018年01月28日

スパイラル・ストラップ11



(仮に神澤さんと付き合うことになったとしても、彼がすぐに結婚を望んでくれるかわからないし)

 優香はオフィスの廊下で立ち止まり、両手で持っていた分厚いファイルの山を持ち直した。倉庫まではまだ遠い。

(神澤さんと、結婚……)

 先日の快感が蘇り、いいかも、などと思ってしまった。
 優香は首を横に振り、結婚までの道のりもまだまだ遠い、と心のなかでつぶやいてから一歩を踏み出す。すると急に目の前のファイルが半分になった。

「おはよう。倉庫に行くところ?」
「は、はい。……おはようございます」

 神澤は優香が持っていたファイルの半分を軽々と小脇に抱えた。右足を踏み出したままきょとんとしている優香の顔をのぞき込んで、穏やかに笑う。

「倉庫までご一緒しても?」
「あ、うっ……はい。ありがとうございます」

 「うん」と返事をして神澤は歩きだす。
 優香はコホンと咳払いをして、ぎこちない動きで神澤のななめうしろを歩いた。

(神澤さんは何でこんなに普通なのー!?)

 少々腹立たしさを感じるほど、彼はいつもどおりだ。

(意識してるのは私だけ……?)

 何事もなかったようにされると堪《こた》える。いや、彼にとっては大したことではないのだろうか――。
 悶々としたまま倉庫に到着した優香は黙々とファイルを所定の位置にしまった。
 神澤はというと、手にしていたファイルを棚にしまったあとで別の棚に移動して、古い資料を確認していた。
 倉庫にはもう用がないので、神澤に挨拶をして先に部署へ戻るつもりだった。

「神澤さん、私は先に戻ってますね」
「俺ももう戻る」

 ――トン。
 神澤の片手が顔の真横にある。どうしてか壁際に囲い込まれている。

「あ、あの……?」

 彼を見上げると、真剣な顔つきをしていた。しだいに近づいてくる。
 顔をそむけることもできたはずなのに、優香は動かなかった。
 少しひやりとする、彼の唇。重ね合わせているうちに、互いの温度になじむ。

「ん……んんっ」

 口づけはどんどん深くなっていく。
 つながりあった夜のことを思い出す。会社で顔を合わせた神澤はあまりにもいつもどおりで、あの夜のことを忘れてしまったのではないかと思っていたけれど、そんなことはないようだ。
 舌と舌を絡め合わせれば、過ぎた夜の悦びがよみがえる。

「――こんなところでダメです、って言われると思った」

 ほんの少しだけ唇を離し、神澤は目を細める。
 優香は「あ、ぅ」と言いよどみながら挙動不審になった。

(本当、神澤さんの言うとおり)

――ここは会社の倉庫なのだから。
 そもそも、ただの上司と部下はこんなふうに口づけを交わさない。

「わ、私……」
「今夜、時間ある?」
「えっ?」

 まだ月曜日なのに、飲みにでも行こうというのだろうか。

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posted by 熊野まゆ at 10:01| スパイラル・ストラップ《完結》

2018年01月27日

スパイラル・ストラップ10



「あぁっ、んぅ……は、ぁうっ」

 彼がなにを想っているのか、自分が彼をどう思っているのかわからぬままつながり合ってしまった。
 心の内がわからずとも気持ちがいいもので、そんな自分に嫌悪感を覚えるものの、ズッ、ズッと内壁をえぐるように律動されるとたやすく達してしまいそうになる。
 快楽に溺れているのは明らかだった。そう自覚しても、いまさら「やめて」だなんて言えない。これほど喘いでよがっておいて、どの口が言うのだ。
 ――やめないで、最後までして。
 むしろそんな言葉が出てきそうになる。
 意地悪な彼のことだ。途中でまたじらされるかもしれないと不安になる。

「……っ、優香」
「――!?」

 しかし神澤は少しも律動を緩めない。悦に入ったようすで腰を突き動かす。
 初めて名前を呼ばれた優香はその一瞬、息が止まりそうになった。

(もう、どうして――!)

 上司と部下という関係はとうに超えているが、名前を呼ばれることでいっそう関係性が変わったような気がする。

「ん、締まった……」

 低くかすれたつぶやき声が、優香の内壁をさらに狭める。
 将来を誓い合った、心から愛しいひととつながりあっているような錯覚に陥る。

(神澤さんはどういうつもりなの?)

 週明けにはまた会社で顔を合わせることになる。彼は部署異動してきたばかりだし、こちらが異動する予定もない。
 酒の勢いだけでこうなったのだとしたら、なんて気まずいのだろう。

「ふはっ、ぁ……あんっ!」

 最奥を強く穿たれれば、脳内を白いヴェールで覆い隠したように思考が鈍くなる。
 ――いまだけ、溺れてもいい?
 鈍った頭が「いい」とも「だめ」とも言う。
 優香の瞳に涙が浮かんでも、だれもそれを目にすることはない。
 さえぎられた視界では口づけも突然だ。

「ん、っ――!!」

 深いキスですべてがのみ込まれる。
 体のなかにあった彼のものがドクン、ドクンと脈を打つのと同時に優香の蜜壷もまた収縮して、ともに果てた。


 週はじめはいつも少し憂鬱だけれど、今日はいつにも増してそうだった。

(一夜の過ち――なんて、してる場合じゃないのに)

 年初めに神頼みしたことを思い起こす。あれは誓いのようなものだ。今年こそはいい人を見つけて結婚するのだと、神に誓ったのだ。

(神澤さんは……かっこいいし仕事もできるけど……)

 お互いに本気ならば、もっと順を追うべきだ。先に体だけつながってしまった時点で手遅れのような気がする。

(体から始まる関係、っていうのもあるかもしれないけど!)

 なにぶん、崖っぷちだ。上手くいくかわからない橋を渡るよりも、初めから結婚を前提にしてお付き合いを始める関係のほうがいい。そのほうが幾分か気楽だ。

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posted by 熊野まゆ at 07:49| スパイラル・ストラップ《完結》


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