2017年05月04日

秘されし、その甘やかな救済 第二章05



「きみは……そうだな、バスローブに着替えるといい。あちらの部屋を使ってくれ。俺はそのあいだに浴室へ入っておく」
「はい」

 マティアスが指し示した続き間の扉を開けると、そこは衣装部屋だった。バスローブも置いてある。ラティーシャは手早く着替えを済ませた。
 すでに彼がいる浴室に足を踏み入れる。中は蒸し暑かった。緊張もあいまってすぐに汗ばむ。
 浴室の椅子に腰掛けていたマティアスはラティーシャを見るなり固まった。バスローブ姿のラティーシャを凝視している。

「……へ、へんでしょうか」

 バスローブの着方がいまいちわからなかった。くわえてこれは男性物で、体に対してかなり大きい。腰紐をしっかりと締めたので上半身はきつく襟を合わせることができたが、裾のほうはどこか心許ない。

「い、いや……へんでは、ない。ただ――」

 マティアスはしどろもどろしている。
 きつく締め付けられ、そして汗を吸ったバスローブは乳頭が透けて薄桃色が露呈してしまうということにラティーシャは気がついていない。
 マティアスはちらりちらりと忙しなく彼女の胸もとを見てはうろたえ、視線をさまよわせた。

「……なんでもない。始めてくれ」

 ラティーシャはごくっと喉を鳴らしてマティアスに近づく。

(公爵さまを洗えばいいのよね……?)

 湯浴みの手伝いをするのは初めてなので要領を得ないが、手順は自分が湯浴みするときと同じだと思われる。

(ううん……彼は貴族だもの。なにか特別な手順があるかもしれない)

 ラティーシャはそう思い至ってマティアスに尋ねる。

「洗い方をご教示いただけますか?」

 するとマティアスは目を丸くした。先ほどから彼はなにやら驚いてばかりだ。

(驚かせるようなことをしているの? 私……)

 ラティーシャの翡翠色の瞳が戸惑いをあらわに揺らめく。

「あー……ええと」

 マティアスは右手を上げて耳のあたりをカリカリとかいた。ラティーシャはそれをただ見つめていたが、ハタと気がつく。

(公爵さま、裸だわ……!)

 いまさらだ。いまさらながらそのことを意識してしまったのは、彼はその面《おもて》だけでなく体までも美しかったからだ。顔の造作にしてもそうだが、体もまた均整がとれていて、胸板は厚く筋肉質だ。
 ラティーシャはマティアスに魅入ってしまう。

「……では、ここを……こすってくれないか」

 彼が指さした箇所に視線を移す。ラティーシャは絶句した。

「……!?」

 そこはふだんは秘められていて、決して目にすることのないところ。

「いや、すまない……。じつに恥ずかしい。きみを見ているだけでここがこんなふうになってしまうなんて。我ながらあきれる……」

 マティアスが恥ずかしそうに目を伏せる。
 張り詰めた陰茎はラティーシャの目には異様に映った。そこだけが突出しているのに、その硬直が彼の一部なのだとはにわかに信じがたい。

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2017年05月03日

秘されし、その甘やかな救済 第二章04



「この邸に滞在するからといって無理に結婚を迫ったりはしない。あくまできみの身の安全を考慮した上での提案だ。……まあ、下心が少しもないわけではないが。あの男ほど俺は下劣ではないつもりだ」

 マティアスが苦笑いを浮かべる。

「……宿舎へ帰ってもいいが……護衛をつけさせてくれ。十人は必要だな」
「そっ、そこまでしていただくわけには」
「そうだろう? だからこの邸に留まってくれ。そのほうが護りやすい」
「……っ」

 ラティーシャはパクパクと口を動かしたあと、目を伏せてコクリとうなずいた。

「……それでは、なにかお手伝いをさせてください。あまりお力にはなれないかもしれませんが、頑張りますので」

 マティアスは困ったような笑みになった。

「うん、やっぱりきみは働き者だね。……では、俺の身のまわりの世話を頼もう。もちろん、きみが邸にいるあいだだけでいい。神殿へはいつもどおり出仕してくれ。道中は護衛をつけさせてもらうけどね」
「……はい。なにからなにまで、本当にありがとうございます」
「よし。じゃあさっそく俺の湯浴みを手伝ってもらおうかな」
「は――いっ!?」
「働いてくれるんだろう?」

 マティアスが立ち上がる。

「え、ええと、あの……」
「きみも服をすべて脱いでくれるね?」

 マティアスはいたずらっ子のようにニイッと口の端を上げている。
 ラティーシャはあわてふためくばかりだ。

「――マティアス様。ご冗談はそのくらいになさっては。ラティーシャ様が倒れてしまわれますよ」

 ラティーシャの顔はよく熟れた果実のように真っ赤になっていた。

「はは、すまない。つい……きみがあまりにも可愛らしいから……。さ、行こうか」

 部屋を出て行こうとするマティアスをラティーシャは追う。ルーサーと、それから女性の使用人たちには「お世話になります」と口早に言った。

「きみも着替えたほうがいいな。ネグリジェを用意させよう」

 マティアスが言うと、女性の使用人が「かしこまりました」と答える。
 ラティーシャはマティアスの寝室に移動した。間もなくして先ほど居合わせた女性の使用人がネグリジェを持ってきてくれた。ラティーシャはネグリジェを握りしめたままおずおずとマティアスに話しかける。

「あ、の……私が服を着たままでよろしければ、湯浴みのお手伝いをいたします。このお邸に置いていただくのですから、ご奉仕しなければ」

 するとマティアスは驚いたような顔になった。

「きみは……本当に真面目だね」

 彼が小首を傾げる。

「では、手伝ってもらうとしよう」

 浴室は寝室と続き間になっていた。バスタブにはすでに泡が漂っていた。マティアスの帰宅時刻に合わせてあらかじめ使用人が準備していたのだろう。

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2017年05月02日

秘されし、その甘やかな救済 第二章03


 ルーサーに応接室へ案内されたラティーシャはそわそわとして落ち着かなかった。ルーサーのほかに女性の使用人が二人、同じ部屋にいてくれているのだが、彼女たちはルーサーと同じく扉の前に立っているだけだ。会話をするような雰囲気ではない。
 ラティーシャは差し出された紅茶をひとくちだけすすり、ひそかにため息をついた。

(……私、どうしてしまったんだろう)

 ――公爵さまに、早く帰ってきて欲しいと思うなんて。
 なぜ彼の帰りを待ちわびているのか、自分のことなのに説明がつかない。

「……ラティーシャ様。もしやご気分が優れませんか?」
「い、いいえ。平気です」

 ラティーシャはルーサーに向かって言った。うつむいてばかりいたので誤解を与えてしまったようだ。

「あの……ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません」

 ラティーシャが謝ると、ルーサーは「ふっ」と笑みをこぼした。後ろへ撫でつけられた銀髪は生真面目な印象だが、そうして笑うと幾分か親しみやすくなる。

「お気になさらないでください。むしろありがとうございます、マティアス様を頼っていただいて。ラティーシャ様もご覧になったでしょう? マティアス様のあの嬉しそうなお顔を」
「え……っと」

 返答に困ってラティーシャは口ごもる。

「じつはマティアス様はずいぶん前からラティーシャ様のことをご存知だったのですよ」
「そう……なんですか」

 公爵と我が兄は友人関係のようだから、兄が私のことを話していたのだとしたら別段おかしなことではない。

「……マティアス様は、あなたに救われたのです。それ以来、マティアス様は変わられた」
「え――」

 それは、泥酔した彼を介抱したことをさしているのだろうか。
 それを確かめようとしていると、

「戻ったぞ」

 応接室の扉からマティアスが顔を出した。ラティーシャの胸がトクンと跳ねる。

(あ、あれっ? 早く帰ってきて欲しかったはずなのに、どうしてまだ落ち着かないんだろう)

 ラティーシャは「あ、う」と挙動不審になりながらも何とか「お帰りなさいませ」と言う。

「ああ……平気だったか? ラティーシャ」
「はい。いろいろと本当にありがとうございます」

 マティアスはラティーシャの向かいのソファに腰を下ろした。女性の使用人が彼に紅茶を淹れる。

「ラティーシャ、ひとつ提案なんだが……しばらくこの邸に滞在しないか?」
「えっ!? いえ、そんなわけには参りません」
「しかし、宿舎に寝泊まりするのは危険だ。あの男……きみになにをするかわからない」

 マティアスが秀麗な眉根を悩ましげに寄せる。

「……実家には、帰りたくないだろう?」

 ラティーシャは目をみはった。
 彼は兄からどこまで事情を聞いているのだろう。

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2017年04月30日

秘されし、その甘やかな救済 第二章02



「――ラティーシャ」

 その声は耳に心地よく響いた。ラティーシャは我に返り、レイヴンの両手を勢いよく振り払ってあとじさった。

「こっちへおいで、ラティーシャ」

 声の主を見るなりラティーシャは安堵した。まわりをよく見ればここはシュバルツ公爵邸の目の前だ。

「公爵、さま……」
「俺の邸に寄るといい。このあたりは意外と物騒だ。可憐なきみに変質者が危害を加えるかもわからない」

 マティアスはレイヴンのほうを見ながらそう言って、ラティーシャを邸の中へいざなう。公爵の執事らしき男性が邸の門を開ける。

「なっ――」

 変質者よばわりされたことが気に障ったらしく、レイヴンの眉が吊り上がる。

「ああ、貴殿も夜道にはお気をつけください」

 マティアスはレイヴンに向かって白々しくほほえむ。
 ラティーシャはうながされるまま公爵邸の門をくぐった。ここで遠慮して帰路についても、レイヴンになにをされるかわからないので、しばらくかくまってもらうほうがいい。

(公爵さまに迷惑をかけてしまうのは心苦しいけれど……レイヴンが、怖い)

 邸の中へ入る寸前、ちらりと門の外を見やるとレイヴンはまだ同じ場所にいた。今までに見たこともないくらい、怒りをあらわにしたおぞましい顔をしていた。

「大丈夫か、ラティーシャ」

 邸の中に入るなりマティアスはラティーシャに尋ねた。

「は、い……。申し訳ございません、ご迷惑をお掛けして……。あの、お出かけになるところだったのではないですか」

 でなければあの場に居合わせるはずかない。

「ああ、視察に行くところなんだ。だから……付き添ってやれなくて、すまない。小一時間で戻るから、それまでは――そうだな、ルーサーにきみを護らせよう」

 マティアスが、扉の前に控えていた家令のルーサーに目配せをする。
 ラティーシャは眉尻を下げる。

「そんな、どうかお気遣いなく。お邸の中で……ここで、少しのあいだ過ごさせていただければじゅうぶんですので」

 心臓はいまだにドクドクとうるさく脈打っている。恐怖心で緊張している。ラティーシャの顔はひどく青ざめていた。
 マティアスはラティーシャに有無を言わせない。

「ルーサーと、それから女性の使用人も一緒に、だ。安心して邸でくつろいでいてくれ」

 公爵の手が頭上に伸びてくる。しかし、彼の手がラティーシャの頭に触れることはなかった。マティアスは伸ばした手をラティーシャに触れる前にピタリと止めて握りこぶしをつくり、引っ込めた。

「――では、行ってくる」

 マティアスがきびすを返す。

「行ってらっしゃいませ、公爵さま。どうかお気をつけて」

 レイヴンが逆恨みして公爵になにかしでかさないか心配だ。
 不安げな顔のラティーシャをよそにマティアスはにやにやしている。

「……どうなさいました?」
「いや、すまない……。きみは怖い思いをしたというのに……きみに見送ってもらえるのが嬉しくて、ついにやけてしまう」

 コホンと咳払いをしてマティアスが出て行く。扉が開いて外が垣間見えた。レイヴンの姿はもうなかった。

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2017年04月29日

秘されし、その甘やかな救済 第二章01


 マティアスとともに休日を過ごした翌日はいつも以上に業務に励むことができた。ラティーシャはほがらかにほほえみながら巡礼者に護符を配布する。

「――ラティーシャ」

 しかし、その男に名前を呼ばれたとたんラティーシャの気分は一気に暗くなった。

「昨日は急に休むから、なにかあったのかと心配したよ。無事でよかった」

 護符の配布列からは外れてラティーシャの傍にたたずむその男の名はレイヴン。毎日のようにやって来てはラティーシャにしつこく話しかけている。

「何度も申し上げておりますが、ご用がないのならお引き取りください」

 配布の合間にそうして咎めるのだが、レイヴンは聞く耳をもたない。

「僕とデートするって約束してくれたら、帰るよ。ねえ、いい店を知っているんだ。一緒に行こう?」
「ご遠慮いたします」

 もう何度この会話をしたことか。ラティーシャが何度断っても、レイヴンは懲りずにやって来るのだ。

「ところで、昨日きみがシュバルツ公爵と街を歩いていたってうわさを聞いたんだけど、本当かい?」

 ラティーシャの心臓がドクンと跳ねる。シュバルツ公爵の名を出されたからか、あるいはレイヴンがそのことを知っていたからか。両方かもしれない。

「……お引き取りください。私は奉仕中なので、私的なことはお話しできません」
「じゃあ仕事が終わってからならいいんだね? 待っているよ、きみの仕事が終わるのを」

 ラティーシャはそれ以上はなにも言わず、横目でジロリとレイヴンをにらむ。いっぽうの彼は笑みを深めるばかりだった。
 レイヴンは男爵令息だ。働きもせず遊び歩いていることがまず気に食わない上に、とにかくしつこい。
 その日、ラティーシャが神殿での奉仕を終えるとレイヴンは宣言どおり巫女見習いが出入りをする門に待ち構えていた。
 ラティーシャは顔をしかめ、彼には取り合わず宿舎へ急ぐ。

「ねえ、待ってよラティーシャ」

 ラティーシャは小走りしていた。もっと全速力で逃げたほうがいいのかもしれない。何だか嫌な予感がする。
 ラティーシャが走り出そうとすると、レイヴンは彼女の肩をつかんで引き止めた。ラティーシャは瞬時に総毛立つ。

「ラティーシャ、どうしてそんなに嫌がるんだ。自分で言うのもあれだけど、僕は自分自身を醜い顔だとは思っていない。お金だってたくさんある。きっときみを幸せにできる」
「……そういうことではありません」

 ハッキリと言ってもいいのだろうか。顔や財力など関係ない。親の金で遊び歩くその性根と、それを恥ずかしげもなくやってのけてしつこく迫ってくるところが大嫌いなのだと。
 しかしラティーシャはそれをハッキリと伝えることができる性格の持ち主ではない。こちらの意思が明確に伝わる別の言葉を探していると、

「……公爵とはデートするのに、僕とはできないって言うのかい?」

 レイヴンはラティーシャの両肩をつかんだまま言う。

「こんなに想っているのに、どうしてなんだ……」

 彼が顔を寄せてくる。
 ――いやだ、怖い!
 早くレイヴンの手を振り払って逃げなければ。そう思うのに、体は恐怖心で石化してしまった。
 レイヴンが近づいてくる。恐怖と焦りで視界がぐるぐるとまわり始める。

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